お茶の水女子大学
日本文化研究の国際的情報伝達スキルの育成
コンソーシアム・シンポジウム一覧
第4回国際日本学コンソーシアム(平成21年度)

プログラム
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2009年12月15日(火) 12月16日(水) 12月17日(木)
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12月17日(木) 10:00~
日本思想学部会
[担当] 頼住 光子(本学)  [司会] 工藤 尭子・小林 加代子 (本学大学院生)
   [会場] 人間文化創成科学研究科棟6階 大会議室


 12月17日(木)10時より、日本思想部会が、人間文化創成科学研究科棟6階大会議室にて開催された。コンソーシアムの部会として日本思想専攻が参加したのは今回で二回目になる。昨年に引き続き、北京日本学研究センター准教授の張彦麗先生が、同センター大学院生と一緒に発表して下さった。今回の共通テーマは「日本学研究はだれのものか?」であり、教員は、このテーマについて全面的に、または部分的にでも触れ、大学院生は、自分の研究テーマについて自由に発表することとした。
 
コンソーシアム最終日、全体会の直前の部会ということで、昨年にまして多くの海外の招待校の方々がご参加くださり、熱心な議論が繰り広げられた。司会は、本学大学院修士課程の工藤尭子さん、小林加代子さんがつとめた。

 発表題目について、以下、発表順にあげる。

   ① 「日本朱子学における「敬」の意味」(高島元洋先生・本学)
   ② 「聖徳太子の片岡山説話についての一考察」(頼住光子・本学)
   ③  「清沢満之の心理学講義及び試稿について」(鈴木朋子さん・本学大学院博士課程)
   ④ 「親鸞における往生」(斎藤真希さん・同上)
   ⑤ 「徂徠学における<主体性>の考察」(徳重公美さん・同上)
   ⑥ 「伊藤仁斎の生々観にみる形而上学」(張可佳さん・同上)
   ⑦ 「思想問題としての「日本学」」(張彦麗先生・北京日本学研究センター)
   ⑧ 「横井小楠の「開国論」と「尭舜三代の道」」(党蓓蓓さん・北京日本学研究センター大学院生)

 内容を簡単に概観しておこう。

 まず、①の高島先生のご発表では、朱子学における「敬」に関する諸問題が扱われた。中国朱子学においては、静坐によって「敬」を実現することが目指された。静坐は心を静め精神統一する点において仏教の坐禅と似ているが、仏教の坐禅が「神秘的な恍惚のなかでなにものかの指令・啓示を受ける」ものであるのに対して、静坐による「敬」は、「「理」と対面し「理」を実現する主体性を獲得するもの」とされる。中国朱子学では基本的に「聖人」になるための修養の問題としてとらえられていた「敬」・静坐を、日本朱子学は、存在論において捉えた。特に日本朱子学の山崎闇斎は、「理」をエネルギーとしてとらえ、「敬」によって「理」(=エネルギー)と向き合い、自らの心身やそれにつながる世界を充実させようとしたことが指摘される。さらに当日は時間の関係で省略された終章では、特殊と普遍の関係について倫理思想史と倫理学を手掛かりに議論が展開される。特殊と普遍の問題はまさに日本学の方法論として重要な問題を提起する。つまり日本という特殊からどのように普遍へと到達するのかという問題である。

 ②の頼住の発表は、現在その非実在論も含めて注目されている聖徳太子についての『日本書紀』の記述が、仏菩薩が衆生救済のためにこの世に姿を現した応化身ということで一貫していることを、片岡山説話を分析しつつ示したものである。なお、統一テーマに関連して、近年聖徳太子論として注目を集める王勇氏の業績を紹介し、多様な視点からのアプローチの必要性を示した。

 ③の鈴木さんの御発表は、これまであまり注目されることのなかった清沢の心理学関連の文章を分析し、清沢が西洋近代科学万能の時代にあってすでに科学の限界や人間の知力の有限性を鋭く察知したことを明らかにし、心理学研究においても清沢の全体論的発想が見られることを示した。また、鈴木さんは、還元主義的発想の限界のみえた現代において清沢の思想は示唆的であると指摘した。

 ④の斎藤さんのご発表は、これまで、近代合理主義的見地に立って往生から死を排除してきた現代の親鸞解釈を批判して、新たな親鸞の往生論を示すものである。斎藤さんは、往生と死とは密接に結びついたものであり、それらは分別的思考に基づく執着からの解脱を意味し、さらに法身という永遠の世界に帰るという点で等しいと指摘した。

 ⑤の徳重さんのご発表は、これまで丸山真男の解釈の枠組みによって理解されていた徂徠における主体性論に対して新たな問題提起を行った。丸山においては、制作をする聖人の主体性のみが扱われていたが、徳重さんは、聖人とは違う位相ながら、君子や小人の主体性をも徂徠は認めていたと主張した。

 ⑥の張さんのご発表は、これまで朱子学の「理」を否定したことから、形而上的な思惟を拒否していると評されがちな伊藤仁斎の思想を分析し、そこには、生々論に基づく形而上学があったことを示したものである。生々によって裏打ちされた人倫日常を生きることは永遠を生きることに他ならず、それは超越性を内在させた一種の形而上学というべきものだと指摘された。
 
 ⑦の張先生のご発表は、まさに今回のコンソーシアムの統一テーマを真正面から扱ったもので、たいへんに聞きごたえのあるものであった。張先生は、これまで日本学が提唱された時期として1940年代と1970~80年代をあげ、前者としては国体学が、後者としては梅原猛氏らが提唱した「日本学」が、豊富な資料によって紹介された。次に中国人による日本観の変遷が示され、共通した特徴として日本人を好戦的な民族としてネガティヴにみる一方で、いちはやく西洋近代文明を取り入れた点は尊重されていると指摘される。そして最後に日本学の究極の目標として「人間の価値と尊厳の実現」を挙げた李慎之の言葉が紹介され、大きな共感を呼んだ。

 ⑧の党さんのご発表は、これまで「仁」との関連で解釈されることの多かった「尭舜三代の道」について、「開国論」との関連で解釈していこうとする意欲的なものであった。豊富な資料と参考文献を駆使して自己の主張を周到に展開しており、昨年同様、北京日本学研究センターの教育レベルの高さを強く感じた。

 これらの発表に対して、フロアの先生方や学生たちからは、多くの質問やコメントが寄せられ、発表者にとって大きな刺激となった。また、司会者も、ともすれば時間オーバーになりがちな進行をうまくコントロールした。 前回と今回、二回のコンソーシアムを通じて、学生たちは、海外の日本研究に生で触れるとともに、国際的な場で発表、質疑の機会を与えられた。これらの経験が、学生たちが自らの研究に国際性を導入し、より広い視野からみずからの研究を構築するきっかけとなればうれしく思う。

 日本文学、日本歴史学、日本語学、日本語教育学に比べて、日本思想学は国際的にもまだまだ研究者も少なく、業績の蓄積も多くはないが、このたび2回のコンソーシアムを通じて、北京日本学研究センターで日本思想を専攻する張彦麗先生や大学院生と交流できたことはたいへんに貴重な機会であった。心から感謝したい。今後もこの分野の研究の活性化に貢献するとともに、本学の大学院教育の学際性、国際性の向上に力を尽くしたいと思う。
【文責・頼住 光子】

  
  高島 元洋 (本学) 【予稿集pdf】
      「日本朱子学における敬の意味」

  頼住 光子 (本学) 
      「聖徳太子の片岡山説話についての一考察」

  鈴木 朋子 (本学大学院生) 【予稿集pdf】
      「清沢満之の心理学講義及び試稿について」

  斎藤 真希 (本学大学院生) 【予稿集pdf】
      「親鸞における往生」

  德重 公美 (本学大学院生) 【予稿集pdf】
      「徂徠学における 〈主体性〉の考察」

  張 可佳 (本学大学院生) 【予稿集pdf】
      「伊藤仁斎の生々観にみる形而上学」

  張 彦麗 (北京日本学研究センター) 【予稿集pdf】
      「思想問題としての「日本学」」

  党 蓓蓓 (北京日本学研究センター大学院生) 【予稿集pdf】
      「横井小楠の「開国論」と「尭舜三代の道」」





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(2010/01/05up)