第3分科会では、以下2件の発表が行われました。
◆劉 娜氏(お茶の水女子大学大学院生)「中国における持続可能性日本語教育の試み―ピア・レスポンスを取り入れた中級作文クラスを対象に―」
・概要:中国でピア・レスポンスを取り入れる際に、言語形式面の添削の方がより有効に働いている。言語形式だけではなく、内容面に着目させることも重要であるため、劉氏は岡崎敏雄(2009)が提唱している「持続可能性日本語教育」を作文クラスに取り入れた。他のピア・レスポンスと異なり、第一作文を書く前に、読みの資料を配布し、内容に関する議論を取り入れた。それらの読み物はグロバール化の下で持続可能性を考える上に、中国に関連する社会問題である「一人政策」や「中国の環境問題」や「雇用」などのものであった。学習者郭さんの「中国の環境問題」の事例を取り上げた。郭さんの第一稿作文は自分のグループで議論したものではなく、全体で共有する意見を取り入れ、自分が感じた環境問題を自分の故郷に引き付けて書いたものの、文間と段落間の論理性が欠けていた。第二稿作文改稿前のピア・レスポンスでは、郭さんはピアからのコメントで、自分の故郷に焦点を当てることに決め、また、アドバイスされるように、論証できる情報を授業後に自らインターネットで調べることにした。改稿された作文はより論理的になった。
・フロアからの質問と発表者の回答
Q:持続可能性日本語教育は始めて聞いた言葉です。その教育への提議を教えてください。
A:持続可能性日本語教育は言葉の教育だけではなく、人の生き方にも関与したい信念を持っています。
Q:持続可能性日本語教育の理念、それはどんなアプローチなのか、あるいは、どんな手法で教育をするのか教えていただきたいです?
A:持続可能性日本語教育はその理論がすごく大きいです。自分もまだ勉強中で、説明しきれないものがあるのですが。今回、この論文で取り入れている概念は「四技能+思考力」に集中しています。
Q:このような手法で、どんな作文を目指したいのですか?つまり、作文のジャンルは何ですか?説明文なのか?感想文なのか?授業の目指す目標はよく分かりませんでした。
A:今回の試みは、作文を超える部分があります。つまり、作文を書くことは、自分の考えを述べることです。文法の正確性を重視するのではなく、内容を重視したいのです。また、自分たちが能動的に論拠を探してくる力を付けさせたいことです。今までの作文のテーマは「私と家族」「記念の一枚の写真」のような、大学生の認知能力と相応しくないトピックを書かせています。しかし、大学生は、母語という認知を支える道具があります。それを利用して、大学生に相応しい、また、持続可能性に貢献できるトピックをまず母語で討論させてから、自分の考えを日本語で書かせることを目指しました。
Q:今後の研究の進み方はどうなるかちょっと気になりますが。個人的な意見ですが、例えば、アドバイスをしたが修正しなかった人、あるいは、できなかった人、などを分類してみたらいかがですか?
A:確かにアドバイスによってグループ内の関係性が変わりました。もうちょっと考えさせて下さい。
◆市川恭子(桜美林大学大学院修了生)「地方小都市における日本語教室―日本人と外国人の関係性を中心に―」
・概要:報告者は地方のボランティア教室に関わることによって、一般市民である日本人参加者=「先生」と外国人参加者=「生徒」の権力関係が定着していることに疑問を感じていた。相互の関係性について両者がどのように「先生」という言葉を使用するか調べることにした。調査方法は半構造化インタビューである。主に、「先生」と呼ぶか、呼ばれるか、それについてどう思うかという会話の断片から考察していく。日本人参加者は先生と呼ばれることが多く、それは、自分が無意識に他のボランティアを先生と名付けたり、また、自分が教える側なので、呼ばれても違和感がないと。また、学習者が自分の名前が覚えていないから便宜上の呼び方という認識も見られた。一方、外国人参加者は、自分が勉強に来たから、知らないことを教えてもらうから、尊敬の意味で、「先生」を使う人がいた。また、都内の日本語の会に見学しに行った時も、多文化共生という言葉を浸透していたはずの都内でも、「先生」という掛け声がよく聞こえた。つまり、両者の関係性は単に力関係だけではなく、複数の感情によって関係性が形成されているという。
・フロアからの質問と発表者の回答
Q:市川さんが先生と呼ばれてどう思いますか?また、インタビュー全員が女性ですが、男性はいなかったのですか。
A:自分にとっては、外国人参加者は年上であるため、違和感をしました。そして、協力者についてですが、男性は一人いましたが、断れました。
Q:呼びかけは文化的習慣のではないか?自分がフィンランドにずっといて、そこでは、フォーストネームで呼び合ったりしていました。しかし、自分が日本人で先生と呼ばれたいです。協力者に自分の国ではどう先生を呼ぶか質問はなかったのですか?
A:質問の中では特に聞いていませんでした。日本語の習慣かどうか、もうちょっと勉強してみます。
Q:インドネシアの学生を預かっていますが、彼らを地域に連れていても、地域の人を「先生」と呼んでいません。逆に年齢層が若いなのか、「ちゃん」と呼び合っています。
A:そうですね。年齢の要素も考えないといけないのですね。
Q:ブラジル人の支援をしていますが、公立の通っている子は、私たちのことを先生と呼んだりしていますが、しかし、ブラジル人学校の子なら、下の名前です。ですから、授業のスタイルに関係があるのではないか?
A:この教室は交流の場でしたが、やっていることは日本語支援です。小グループに分けて日本語学習をしています。ですから、先生の呼び方でも、お母さんとして思ってくれる現象が見られました。
Q:「先生」という言葉を使うことで関係性が作られていくと思いますが、この研究はどう現場で還元したいのですか?
A:外国人も「先生」という使い方に否定的ではないです。だから、気にしなくてもいいのでは。
張瑜珊(お茶の水女子大学大学院)