お茶の水女子大学
日本言語文化学研究会
 

  【第40回 日本言語文化学研究会】

  【終了報告】

  開会挨拶・ポスター発表  
 

       

    

 
     

  

  分科会  
 

   

    

         

 

 
     

   

 

  交流会  
 

 

 

 
     

 

【各分科会の様子】

◆言文・第1分科会の様子
                (司会:
向山陽子、記録:菅生早千江

第1分科会では以下3件の発表が行われました。

◆谷内 美智子氏(国際交流基金日本語試験センター)「複合動詞の意味推測における文脈量と第二言語習熟度の影響」

・概要:報告者は複合動詞の意味推測において、文脈からの情報量とL2習熟度の影響がどのようにあらわれるのかに関する発表を行った。本報告では複合動詞を「統語的複合動詞」(二つの動詞が統語的な操作によって結合し前項動詞が後項動詞の項になるもの(例えば「読み終わる」)と「語彙的複合動詞」(「飲み歩く」のように意味の慣習化、語彙化が進んでいるもの」に分類し、調査している。モンゴル語を母語とする中上級レベルの日本語学習者54名を対象とし、未知語の複合動詞31語(語彙的複合動詞16語、統語的複合動詞15語)について意味推測の際の文脈情報量について、単独条件(当該語のみを提示)、単文条件(単文の中で共起語とともに提示)、複文条件(複文の中で共起語だけでなく、意味推測を促す情報とともに提示)を設けて意味推測の程度をみた。処遇は@SPOTと事前テスト、A四枝選択式の意味推測テスト、B一ヵ月後のB意味保持テスト(本研究では分析から除外した)という流れで行った。
その結果、文脈情報量の影響は語彙的複合動詞のみに見られるが、L2習熟度の影響は語彙的複合動詞と統語的複合動詞の両方に見られた。統語的複合動詞は意味的な透明性の高さからL2習熟度の影響は受けないと予測されたが、実際にはL2習熟度の影響を受けることが明らかとなった。

・フロアからの質問と発表者の回答
Q: 今後の課題とされた「意味的な特徴や構造の違い」とは例えばどのようなものか。
A: 語彙的複合動詞について言えば、先行動詞と後行動詞の関係が、手段、原因、付帯状況などのように分類されている。そうした関係と結果の関係を見直してみたい。
Q: 調査実施方法について。単独条件、単文条件、複文条件の提示の仕方により結果に影響が出るようなことはないか。
A: その可能性があったため、ランダムに与えることで影響が出ないよう配慮した。
Q :語彙的複合動詞については、推測しやすいものとそうでないものがあるように思われるが、語の選択は適切か。
A: 事前テストで正解率が高いものは調査対象外とするなどした。今後は語の選択の段階で吟味したい。
Q: 統語的複合動詞で、とくに複文条件で正答率が下がるのはなぜか。
A: 文処理の段階で混乱しているか、量そのものが負担になっているという可能性がある。実際にどのように判断したのか、テスト実施後にアンケートをとっておけばより確実なことがわかったのだが、この度はしなかったので、以上は自分の推測である。
Q: 4択の正解は何に基づいて決めたのか。
A: 基本的には辞書の定義を基準にした。
Q: 誤りの場合、どの選択枝に誤答が多かったか。
A: 目下分析中だが、漢字の連想による選択枝を選んでいるものも多い。印象としては先行動詞・後行動詞そのものの知識で選んでいるようだ。
Q: デザインがきちんとしている研究で面白いと思うが、L2の習熟度には漢字知識が大きく反映されている可能性はないか。L2の習熟度は何を反映したもので、どう解釈できるのだろうか。
A: 漢字にはルビをふっているので、漢字の知識が影響したというよりも、動詞そのものの知識が反映されているのだと思う。L2習熟度が何から構成されているかは、まだ分析していないところなので、「言語能力の何を表したものか」は今後検討してみたい。

◆朴 錦女氏(首都大学東京大学院生)「韓国語「〜 아 /〜 어 /해 받다 / 〜a/〜e/〜he badda/」に対する認識と日本語授受補助動詞の習 得の関係―中国人朝鮮語母語話者と韓国語母語話者を対象に―」

・概要:報告者は韓国語母語話者と中国人朝鮮語母語話者とでは「〜 아 /〜 어 /해 받다 / 〜a/〜e/〜he badda/(〜てもらう)」の使用が異なることに着目した。韓国語では、「〜 아 /〜 어 /해 받다 / 〜a/〜e/〜he badda/(〜てもらう)」は非文法的で、「〜아/〜어/〜해주다(〜a/〜e/〜he juda)(〜てくれる)」に代用されるのに対し、中国人朝鮮語母語話者は前者を日常的に使用している。「〜 아 /〜 어 /해 받다 / 〜a/〜e/〜he badda/(〜てもらう)」に対する認識の違いが、日本語の授受補助動詞の習得において、どのような影響を与えるかを調べた結果を報告した。
 両群の日本語学習者に対して2種類のアンケート(1:「〜てもらう」文を朝鮮語・韓国語に訳し、容認の有無を問う問題、/2:絵を見てその状況に合う授受補助動詞を選ぶ選択問題)を実施した。その結果、1のアンケート調査からは、中国人朝鮮語母語話者の「〜아/어/해 받다(〜a/〜e/〜he badda)」に対する容認度と使用率はともに韓国語母語話者より高いことがわかった。2の調査からは、それぞれの群の中で比較した場合には、「〜아/어/해 받다(〜a/〜e/〜he badda)」の容認度が高いほうが習得が進んでいることが示唆されたものの、群間比較をした場合、「〜a/〜e/〜he badda 」の容認度の高い朝鮮語母語話者が韓国語母語話者より「〜てもらう」の習得が有利だとは言えないことが明らかになった。

・フロアからの質問と発表者の回答
Q: 朝鮮語母語話者、韓国語母語話者の学習歴で比較対照グループとしているようだが、日本語の習熟度の測定(SPOTを用いるなど)は行ったか。
A: 行っていないが、中国人朝鮮語母語話者の学習時期が早いこと、到達レベルが日本語能力試験でどのレベルかということを目安に、両群を同等とみなした。次回は改善したい。
Q: 仮説を3つ立て、仮説の2つは支持され、もう1つは支持されなかった理由は何か。
A: 調査対象者の年齢の異なり、外国語学習の経験の影響、両群のレベルが異なっていた可能性などが影響していると思われる。
Q: 容認度と習得が結びつかないという結果が興味深い。韓国語母語話者としては、badda には「搾取」という感じがあり、judaというと、「ありがたくいただく」という感じがある。母語からイメージが作られていたように思うので、母語の影響がわかったら面白いと思う。
A: 今後の課題とさせていただきたい。
Q: 韓国語母語話者はモノリンガルで、中国人朝鮮語母語話者はバイリンガルである。その場合、baddaの容認度が異なるだけで両者の違いを説明しているが、他に見るべき要因が多々あるように思われるがどうか。
A: 朝鮮語母語話者には中国語に関わる要因他、他の要因もあるだろうが、今回は、容認度の観点から見た。他の要因については今後見ていきたい。
その他:アンケート調査の例文の開示依頼、PPTでの結果の説明に関する確認、表示の仕方へのコメントなど。

◆徐蓮氏(お茶の水女子大学大学院生)「空間―時間メタファーの普遍性と相対性:上下軸・前後軸・左右軸の競合をめぐって」

・概要:報告者は日中対照研究として、時間の概念を表す時間メタファーにおいて、「上下」「前後」「左右」の空間軸がどのように競合しているのかというテーマで発表を行った。認知意味論における時間メタファー論では、空間概念と時間概念という2つの異なる概念領域の間に構造的な対応関係が見出されると指摘されていることを踏まえたものである。
 競合の程度を測る基準として、本報告では「造語力」と「使用頻度」を用いている。造語力については『日中中日辞典』(小学館, CD-ROM版)掲出の時間を表す前後・上下・左右の複合語の数を調べ、使用頻度については中日対訳コーパス の日本語の小説『坊ちゃん』と論説文『タテ社会の人間関係』、中国語の小説《人到中年》と論説文《毛泽东选集三》から、上下・前後・左右の表現を全部抽出し、時間メタファーの割合を調べた。さらに時間による相対性を見るために、BCCWJ均衡コーパスも用いた。
その結果、時間メタファーにおいて、日中両言語とも前後軸が多用され、その次が上下軸で、左右軸を用いる時間メタファーはないと報告した。一方、競合の比率が両言語の間にずれがあること、また、時代等によって、競合の順位も異なることから、競合の相対性が存在することに触れ、これで瀬戸(1995)、左(2007)の前後主流説が実証可能であると示唆した。

・フロアからの質問と発表者の回答
Q: 「空間軸の競合」とはどういう意味か。
A: 「競合」の概念は、先行研究によるものではなく、自分なりの用い方である。時間概念を表す際に、上下を使うか、前後を使うか、使用の比重、つまりどちらが多く使われているかということである。
Q: 調査対象資料について、その資料を選んだ理由は何か。
A: 造語力と使用頻度を調べるために、いくつか資料を用いた。造語力を調べるために用いた「日中・中日辞典」は、辞書の規模に関して、日本語と中国語の分量がほぼ同等だったためこれを選んだ。使用頻度については様々なジャンルの資料を見ることで傾向を見ようとした。ジャンルによる使用頻度の偏りはなかった。
Q: 今回は書き言葉の資料しか対象としていないが、話し言葉のコーパスなども見てみるのはどうか。
A: 今後そのような資料も見てみたい。
Q: 「通言語的な普遍性」について説明してほしい。そもそも日本語と中国語では語彙的に似通った部分が多い。それが例えば英語とスペイン語だったら、同じような傾向が出るのだろうか。
A: 中国語と日本語は相互に影響しあってきた言語だが、今回の結論はその両言語を対象とした範囲でのものであり、日本語の前後主流説を支持し、中国語における「上下が主である」ということを否定したのも、あくまで両言語の範囲の中でのものと考えてほしい。
Q: 使用したコーパスの種類について。複数のコーパスを使調査目的に合わせて使い分けているが、同様に扱っていいものなのだろうか。上半期、下半期、前半期、後半期などの語彙は、コーパスのジャンルによる偏りがあるように思うがどうか。
A: 今回は入手可能かどうかという実際的な問題もあって、それらを用いたが、用いるコーパスの選択を吟味することは今後していきたい。 文章のジャンルによって、あるいは文脈によって語彙が異なる可能性はあると思うので、今後調査していきたい。
Q:「時代による相対性」という大きな概念を用いているときに、上半期、下半期という一事例だけでそれを結論付けるのは危険ではないか。そもそも競合しているのか。
A: 確かに一事例だけではあるが、他の語では検証できない。 
Q: 事例がないなら競合しているのか。
A: 日本語の場合は、競合があまり見られない。中国語の場合は、上下軸を使う時間メタファーがかなりあるので競合に注目している研究者は多い。

菅生早千江(国際日本語普及協会)

 

 

◆言文・第2分科会の様子
                 (司会:古市由美子、記録:岩田夏穂)

第2分科会では、以下3件の発表が行われました。
◆付 傑氏(東京学芸大学教育学大学院生)「中国の公立中学に在籍する日本人生徒の二言語の発達と文化的アイデンティティ」
・概要:本研究は、中国に長期滞在し、北京の公立中学・高校に通う日本国籍を持つ生徒を対象とし、彼らの二言語(日本語と中国語)の発達と文化的アイデンティティの関連を明らかにすることを目的としている。3人の生徒に行った面接調査をグランデッド・セオリー・アプローチに基づいて分析し、各ストーリーラインを記述した。その結果、親が果たす大きな役割、生徒の日本語の保持と中国に対する希薄な帰属意識が各ケースで共通していたが、日本・中国での学習状況によって違いが生まれていた。母語(日本語)の保持と中国語の習得が成功したケースでは、母国と中国での順調な教科学習と学校への適応と文化的アイデンティティの安定をもたらすことがわかった。それに対し、日本での学習がうまくいかなかったケースでは、中国でも中国語力に制限があることから居場所がなくなり、文化的アイデンティティが不安定になっていた。
・フロアからの質問と発表者の回答
Q:3人が通う学校はどのような学校なのか。また、外国人生徒はどのくらいいるのか。
A: 中等部と高等部が一貫したエリート校で、中国のトップ大学への進学する者が多い。外国人の生徒は、国際部の学歴クラスに入るが、中国語が分からない生徒もすべて最初から中国人生徒とともに学ぶ教育を行っている。外国人生徒は200名以上で、韓国人生徒がもっと多い。日本国籍の生徒は主に両親に中国人がいる場合で、10人以下だと思う。
Q:3人を対象者に選んだ背景は?
A:調査に入った時、偶然インタビューの機会ができた対象者である。
Q:中国語が分からない生徒のために翻訳をしながら授業を進める等、何か対応をしているのか。
A:中国語がまったくわからない状態で中国語での授業に入れられるのは、生徒にとって必ずしも良くないと思うが、この学校の方針で、何も対応せずに授業を進めている。今回の中国語が分からない生徒のケースでは、母親が家で学習を見ていたようだ。

◆劉 雲霞氏(お茶の水女子大学大学院研究生)「言語少数派の子どもを対象とした母語による教科学習支援の実態―子どもの母語による読み書きに注目して―」
・概要:本研究は、「教科・母語・日本語育成モデル」(岡崎1997)に基づいて行われた母語話者支援者の支援によって、中国語母語話者の子ども(中学2年生)がどのように古典文学教材文の学習を進めるか、その実態を明らかにすることを目的としている。支援者と子どものやり取りを分析した結果、母語による学習において、次の3つの点が観察された。@自分が持っている歴史の知識と結びつけて教材文の背景知識を理解する、A中国の古典文学の詩歌に関する知識と比較しながら日本の俳句の内容を味わう、B自分自身の経験と結びつけて読後感想を書き出す。この結果から、母語による学習支援は、子どもの母文化と目下置かれている新しい文化を統合し、「新たな学び」を構築する場となっていることがわかった。
・フロアからの質問と発表者の回答
Q: 既有知識を生かすことの意義はよくわかった。そこでの新たな学びとは何か。また、日本語の理解・学習とどのように結びつくのか。
A:母語による先行学習は学校の授業での学習のためと思われているが、私は、支援の場そのものが学びの場であると思う。子どもが母国で培ってきたものを更新しながら、新しい知識に結びつけて考えている。それが新たな学びだと考える。日本語学習との関連でいえば、今回の対象は母語による先行学習で、そのあとに日本語による先行学習がある。日本語の制限がある子どもが内容を深く理解できるのは、母語による先行学習の場しかない。そこで学んだことを、データからは、そのあとの日本語での場面で、一生懸命再生しようとする様子がうかがわれた。
Q:発表の結果に見られた子どもの学習の成果は、支援者の「このように学んでいってほしい」というビリーフに基づくワークシートの設問に影響されているのではと感じた。もし、そういうビリーフがあるとすれば、どういうものか。
A:私自身、日本で生活していて少数派として弱い立場にあることを実感しているが、それでも努力次第で自分にも必ずできることがあるはずだという信念を持っている。無力感を持っている言語少数派の子どもたちにも同じように感じてほしいと思っている。
Q:なぜ教材を古典文学にしたのか。
A:古典は日本語母語話者にとっても難しいことを知り、外国人の子どもはなおさら困難だろうと思った。それで、古典の学習の支援を思い立った。
・フロアからのコメント:日本の学校の古典の授業ではあまり深く内容を学ぶことはない。対象者の子どもが母語支援を通して、古典の内容を深く理解できれば、それを学校の授業で教師や他の生徒と共有できるようになればいいと思った。

岸美代子氏(お茶の水女子大学大学院生)「女子高校生の「体言止め」に見る発話の受け継ぎと会話構造」
・概要:本研究は、女子高校生の会話における「体言止め」の多用に注目し、日本語母語話者のコミュニケーションの実態と問題点を把握することを目的にしている。女子高校生と成人女性の会話を対象に、「体言止め」発話の受け継ぎにおける(1)ターン交替形式別使用頻度(2)直前の発話と直後の発話の受け継ぎの様相、そして、「体言止め」発話の受け継ぎが会話の構造に与える影響を調べた。その結果、話し手が交互に交替する「交互型」、話し手と聞き手の役割が明確な「共話型」、互いに順番を譲り合う「譲り合い型」といった特徴が見られた。女子高校生の会話では、「体言止め」発話によって、早いテンポでの発話者交替、少ない相槌、早い話題転換といった「パッチワーク的会話構造」を持つことが分かった。この結果から、彼らの会話が互いの情報交換に終始し、相手に踏み込まない表面的で閉鎖的なやり取りになっていることを示唆した。
・フロアからの質問と発表者の回答
Q:分析の焦点を確認したい。ターン交替の中で特徴的に表れているのが体言止め、つまり名詞文であったということか。
A:まず、体言止めに着目し、それがターン交替の中でどういう影響を与えているのかを分析した。
Q: 「共話型」というのは、同じ内容について、参加者が情報を提供し、流れの中で全体の内容を作っていく、いわゆる水谷信子が提唱した「共話」のことか。
A:そうだ。
Q:体言止めは、いろいろな文を受ける位置に表れる。疑問詞疑問文の後に名詞文で答えをするということは、連鎖はそこで終了し、それ以上の発展はないことが予測可能な文体である。女子高校生の会話でそれが多くみられるのに対して、成人女性の「共話型」の会話ではそういうものは出てこないという結果は理解できる。そのような分析結果を今後どのように教育場面で還元しようと考えているのか。
A:国語教育の現場には、日常生活の言語行動を分析し、コミュニケーションを考えようとする視点がない。私は、コミュニケーション教育も国語教育で必要であり、母語話者が自分の日常の会話のありかたを振り返ることは重要であると考える。また、今は、日本語学習者が学習する「日本語」と教室の外でのやり取りの「日本語」の乖離が甚だしく、そのやり取りについていけない学習者が日本語のコミュニケーションから排除されてしまうことがある。そういう意味からも、母語話者の会話構造を把握しておく必要があると思う。
Q:名詞をポンと投げる発話のし方については、泉子・メイナードがドラマの会話を取り上げ、どのように情意を表現するのかを分析している。それによると、名詞のみの発話は、モダリティ表現がないため、会話参加者が自分の情意をその発話に投影することができるということだ。体言止めの使われる会話では、体言止めによって参加者は感情を共有しているのではないか。
A:体言止めは「モノ」の名前であり、感情を入れないままそれを投げかけることで、相手に反応をゆだねていると考えている。それは、自分や相手が傷つかないような配慮の一つの表れではないかと思う。

                             岩田夏穂(大月短期大学)

◆言文・第3分科会の様子
                (司会:影山陽子、記録:張瑜珊)

3分科会では、以下2件の発表が行われました。

◆劉 娜氏(お茶の水女子大学大学院生)「中国における持続可能性日本語教育の試み―ピア・レスポンスを取り入れた中級作文クラスを対象に―」

・概要:中国でピア・レスポンスを取り入れる際に、言語形式面の添削の方がより有効に働いている。言語形式だけではなく、内容面に着目させることも重要であるため、劉氏は岡崎敏雄(2009)が提唱している「持続可能性日本語教育」を作文クラスに取り入れた。他のピア・レスポンスと異なり、第一作文を書く前に、読みの資料を配布し、内容に関する議論を取り入れた。それらの読み物はグロバール化の下で持続可能性を考える上に、中国に関連する社会問題である「一人政策」や「中国の環境問題」や「雇用」などのものであった。学習者郭さんの「中国の環境問題」の事例を取り上げた。郭さんの第一稿作文は自分のグループで議論したものではなく、全体で共有する意見を取り入れ、自分が感じた環境問題を自分の故郷に引き付けて書いたものの、文間と段落間の論理性が欠けていた。第二稿作文改稿前のピア・レスポンスでは、郭さんはピアからのコメントで、自分の故郷に焦点を当てることに決め、また、アドバイスされるように、論証できる情報を授業後に自らインターネットで調べることにした。改稿された作文はより論理的になった。

・フロアからの質問と発表者の回答

Q:持続可能性日本語教育は始めて聞いた言葉です。その教育への提議を教えてください。

A:持続可能性日本語教育は言葉の教育だけではなく、人の生き方にも関与したい信念を持っています。

Q:持続可能性日本語教育の理念、それはどんなアプローチなのか、あるいは、どんな手法で教育をするのか教えていただきたいです?

A:持続可能性日本語教育はその理論がすごく大きいです。自分もまだ勉強中で、説明しきれないものがあるのですが。今回、この論文で取り入れている概念は「四技能+思考力」に集中しています。

Q:このような手法で、どんな作文を目指したいのですか?つまり、作文のジャンルは何ですか?説明文なのか?感想文なのか?授業の目指す目標はよく分かりませんでした。

A:今回の試みは、作文を超える部分があります。つまり、作文を書くことは、自分の考えを述べることです。文法の正確性を重視するのではなく、内容を重視したいのです。また、自分たちが能動的に論拠を探してくる力を付けさせたいことです。今までの作文のテーマは「私と家族」「記念の一枚の写真」のような、大学生の認知能力と相応しくないトピックを書かせています。しかし、大学生は、母語という認知を支える道具があります。それを利用して、大学生に相応しい、また、持続可能性に貢献できるトピックをまず母語で討論させてから、自分の考えを日本語で書かせることを目指しました。

Q:今後の研究の進み方はどうなるかちょっと気になりますが。個人的な意見ですが、例えば、アドバイスをしたが修正しなかった人、あるいは、できなかった人、などを分類してみたらいかがですか?

A:確かにアドバイスによってグループ内の関係性が変わりました。もうちょっと考えさせて下さい。

 

◆市川恭子(桜美林大学大学院修了生)「地方小都市における日本語教室―日本人と外国人の関係性を中心に―」

・概要:報告者は地方のボランティア教室に関わることによって、一般市民である日本人参加者=「先生」と外国人参加者=「生徒」の権力関係が定着していることに疑問を感じていた。相互の関係性について両者がどのように「先生」という言葉を使用するか調べることにした。調査方法は半構造化インタビューである。主に、「先生」と呼ぶか、呼ばれるか、それについてどう思うかという会話の断片から考察していく。日本人参加者は先生と呼ばれることが多く、それは、自分が無意識に他のボランティアを先生と名付けたり、また、自分が教える側なので、呼ばれても違和感がないと。また、学習者が自分の名前が覚えていないから便宜上の呼び方という認識も見られた。一方、外国人参加者は、自分が勉強に来たから、知らないことを教えてもらうから、尊敬の意味で、「先生」を使う人がいた。また、都内の日本語の会に見学しに行った時も、多文化共生という言葉を浸透していたはずの都内でも、「先生」という掛け声がよく聞こえた。つまり、両者の関係性は単に力関係だけではなく、複数の感情によって関係性が形成されているという。

・フロアからの質問と発表者の回答

Q:市川さんが先生と呼ばれてどう思いますか?また、インタビュー全員が女性ですが、男性はいなかったのですか。

A:自分にとっては、外国人参加者は年上であるため、違和感をしました。そして、協力者についてですが、男性は一人いましたが、断れました。

Q:呼びかけは文化的習慣のではないか?自分がフィンランドにずっといて、そこでは、フォーストネームで呼び合ったりしていました。しかし、自分が日本人で先生と呼ばれたいです。協力者に自分の国ではどう先生を呼ぶか質問はなかったのですか?

A:質問の中では特に聞いていませんでした。日本語の習慣かどうか、もうちょっと勉強してみます。

Q:インドネシアの学生を預かっていますが、彼らを地域に連れていても、地域の人を「先生」と呼んでいません。逆に年齢層が若いなのか、「ちゃん」と呼び合っています。

A:そうですね。年齢の要素も考えないといけないのですね。

Q:ブラジル人の支援をしていますが、公立の通っている子は、私たちのことを先生と呼んだりしていますが、しかし、ブラジル人学校の子なら、下の名前です。ですから、授業のスタイルに関係があるのではないか?

A:この教室は交流の場でしたが、やっていることは日本語支援です。小グループに分けて日本語学習をしています。ですから、先生の呼び方でも、お母さんとして思ってくれる現象が見られました。

Q:「先生」という言葉を使うことで関係性が作られていくと思いますが、この研究はどう現場で還元したいのですか?

A:外国人も「先生」という使い方に否定的ではないです。だから、気にしなくてもいいのでは。

張瑜珊(お茶の水女子大学大学院)

 

 

 
 

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