第2分科会では3件の発表が行われました。
◆金孝卿氏(東京大学大学院工学研究科)による『日本語教室の「セルフ内省」活動における学習プロセスの実態−内省の観点とレベルに焦点を当てて−』では
教室での学習終了後,内省シートを記入することにより直前の学習体験について一人で振り返る活動を「セルフ内省」と呼び,その意義と課題を検討した。中上級学習者10〜12名に対して12回の当該活動を行った結果,内省の観点としては,対象タスク・言語学習・学習者自身・その他の4類が挙げられ,また,それぞれの観点において,事実や気付きの再生→関連付け・統合と価値付け→関連付けから統合および価値付け,というレベルの深まりが見られた。
との内容が報告されました。発表後のコメント・質疑等は以下の通りでした。
・授業の後に振り返りシートを書かせることはあるが,その内容についてこのように丁寧に検討したことがなかったことを反省している。
・内省の観点の広さや深さと言語能力との関連についてはどのように考えるか?−今回のデータからはなんとも言えないが,SLA分野の研究で,学習を意識化できる学習者は能力も高まるという結果が出ているので,おそらく関連があると考えている。
・初級の学習者に対してもさせることができるか?−母語または媒介後の使用を認めることによって可能だと考える。
・「気付き」と「意識化」との相違は何か?−「気付き」は単なる事実の再生。「意識化」は,そこに関連付け,統合,価値付けなどが加わる。
・意識化は言語化されなければならないか?−言語化されることは自分へのフィードバックになるので,言語化してこそ意識化の意味がある。
・個人内での変化はあったか?−あったと考えている。ただし,ピア活動を行ったので,変化を個人内部のものとしてよいかどうか断定できない。
・この研究とWenden(1991)との相違は何か?−内省の4つの観点がどのように関連しているか,を考察した点が本研究の独自性。
・「セルフ内省」は発表者のネーミングか?−そう。一人で行う内省という意味。
◆富谷玲子氏(神奈川大学)による『リソースの欠如と過剰−学習者がリソースを活用するための前提条件の分析−』では
日本語学習とリソースの関係を調査した先行研究のデータを整理分析することにより,リソース活用の促進あるいは阻害要因が明らかにした。促進の要因は,日本語に何らかの価値付けをしている共同体に参加し,そこで日本語の使用を決意することである。一方,阻害要因としては,適切なリソースに手が届かないという物理的条件,知識や経験の不足からある対象をリソースとして自らに関連付けられないこと,さらに,リソースと学習者の接触を阻む存在,が挙げられる。
との分析結果が示されました。これに対して次の質問が出されました。
・リソースの定義は?−本研究では,「環境の中から学習のために学習者が選び出したもの」と捉えている。定説として確立されてはいないが,一般的には,リソースとは「物・人・ネットワーク」の三者,あるいはこれに「情報」を加えた四者と考えられている。
・たとえば,こどもが学校の勉強の予習をする場合,母語で学習内容を予習して授業に望んだら,授業の内容をよく理解できた,ということがあったとする。このとき,母語または母語で理解していった内容は,リソースといえるだろうか?−本研究ではなるべく簡潔な見方で定義したいので。内面化されたものはリソースとは捉えない。
◆石橋玲子氏(茨城大学留学生センター)による『日本語学習者の文章構成における第一言語の影響−中国人母語話者の論説文を対象に−』では
中上級学習者16名がa.日本語で,b.中国語で,c.中国語で書いたものを日本語に直して,それぞれ書いた論説文を比較することにより,第二言語の文章構成に及ぼす母語の影響を探った。その結果,aとbの構成パターンは類似しているが,主題文の位置は異なることがわかった。また,構成の観点から質的な評価をおこなったところ,aとbの得点には相関がなかった。以上から,第二言語による作文の構成面に影響を与えるのは,第二言語能力と第二言語による作文学習の経験ではないか,ということが示唆された。
との考察結果が発表されました。この結果に対しての質疑は以下の通りでした。
・構成パターンの比較において,第二言語で書いた作文にはだらだらした文,意見のない文が多い,とあるが,これは習熟度が関係するのではないのか?−その通りだと考える。
・cを書かせるとき「bに忠実に」ということをどの程度協調したか?−特に「忠実に」とは指示していない。
・16名の間の能力の差は?−プレースメントテストで振り分けて同じクラスになったメンバーなので,当初の能力は均一のはずである。
・作文のサイズはどのくらいか?−40分内で書けるだけ書かせた。字数などのデータは今持っていないので答えられない。
・cの場合,一度母語で書いたことが学習効果を生んでいると考えられないか?たとえば,そのときのアウトラインを生かす,などということができたのではないか?−bとcは構成パターにも相関あり,という結果からも示唆されるとおり,学習効果はあったと考える。
早稲田大学日本語教育研究センター 内田安伊子