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ブーレーズ・パスカル大学でのシンポジウム
「フランス・日本の哲学の出会い、第三回・合理性への日本の視点」 報告


 このシンポジウムは、2007年1月26日に、クレルモ ンフェランのブーレーズパスカル大学、哲学・合理性研究センターで、午前・午後にわたって行われた。今回のシンポジウムは、お茶の水大学の教員(* 印)・大学院生の発表に加え、現在パリに在住の哲学研究者の石田安実氏にも参加していただき、パスカル大学の教員・学生と共に思想史研究と現代の哲学的問 題について認識を深めることができた、有意義なシンポジウムであった。それぞれの発表内容は、以下の通りである。





岡地奈津子: Consciousness and Understanding of Human Action (「人間の行為における意識と理解」)
 発表内容は、行為の捉え方に関する代表的な二つの考え方を取り上げている。一つはデイヴィドソンの行為の因果説であり、行為とはそれを合理化する理由が 存在すると同時に、その理由が行為の原因となっていると特徴付けられる。これに対し、発表者は、行為者自身が理由を知っていることの必要性、および、理由 が一意でなく任意性を持つのではないかという疑問を提出している。
もう一つは、フランクファートの行為論で、原因が行為を特徴付けるものではなく、行為者が行為を導いていることが本質的であると主張される。これに対し、 発表者は、行為を導くこととは曖昧性があり、また行為者の一人称的見解が優越性を持つことに対して疑問を提出している。
この発表に対しては、主にジャフロ先生を中心として、発表者の疑問点が反論として有効であるかについての議論が行われた。





伊藤みずほ:Davidson on the Justification of Belief (「デイヴィドソンの信念正当化」)
 発表内容は、デイヴィドソンによる伝統的な知識論・特に基礎付け主義への反論を検討している。彼によれば、感覚内容が信念の正当化には貢献しない。しか し一方で、話者の発話の解釈が、その内容を正しくするように行われるという寛容の原則から成立するため、われわれの整合的な信念体系は大部分が正しいとさ れる。特に、全知の存在が解釈をすると想定すれば、解釈内容は実際に正しくなっているはずである。
発表者は、この議論で解釈者に全知を想定することがデイヴィドソンの立場で有効ではないのではないか、さらに信念の原因も結果として同定できないのではな いかという疑問を提示している。
この発表に対しては、ジャフロ、プティ先生から、デイヴィドソンの全知の想定や懐疑論の内容についての質問・議論が行われた。





石田安実:Reductionism and Holism-Two Types o Holism (「還元主義と全体論・二つの全体主義」)
 発表内容は、一般に背反すると考えられている還元主義と全体論は、そうではなく前者が後者を要請すると考えられ、その主張を明らかにするために双方の内 容を分析したものである。還元主義は、存在の還元と説明の還元に区別され、全体論は部分に還元されない創発性を主張する。創発特性は因果的に有効でなくて も必要・本質的とされる。ミクロな特性に随伴する全体論的なマクロの特性の場合も、ある種の(構成的な)随伴性の場合には、因果的役割を担わなくても必要 で不可欠な性格を持つ。そうした全体論的特性は、われわれが人間に対して持つ期待・予期に関しても有用であると考えられる。
発表に対して、プティ先生などから、随伴的・創発的特性の因果性における性格について発表者の考え方をより明確にするための質問がされた。





斎藤真希:On Shinran’s Thought (「親鸞の思想について」)
 発表内容は、親鸞が、末世の人間の浄土往生は、阿弥陀仏の本願に基づき信心を起こし念仏を称えることにあると説いたことから、その信心とはなにか、また 念仏とはなにかを論じたものである。
これにたいする質疑応答は、Laurentiu ANDREI氏を中心として活溌に行なわれた。たとえば信心と悟りとの関連、あるいは親鸞と禅宗との類似性等である。発表者は、これにたいして英語でもっ て丁寧に答えた。
浄土真宗については、かつてB.H.チェンバレンが、プロテスタンティズムにもっとも近いと評したが、あらためて根本的にヨーロッパの宗教と異なるところ があるという意味で比較思想の重要なテーマであると認識した。





高島元洋*: Le rationalisme dans le Japon pré-moderne(「近世日本の合理主義」)
 発表内容は、江戸時代(近世日本)について、これまでの理解では封建社会であり前近代の闇黒社会で、合理主義などは存在しないというものであったが、明 治維新前後の「和魂洋才」の思想、また維新後の急速な近代化を考えると、この時代をたんなる暗黒社会であるとする評価はきわめてイデオロギシュなものでし かないという立場から、この時期、西洋の近代合理主義を受けいれる別の合理主義があったことを論証する。井原西鶴・山片蟠桃・石田梅岩・森鴎外などの事例 から、合理主義に還元主義的合理主義と全体論的合理主義があるということを提示した。
これにたいする質疑応答は、「和魂洋才」についてElisabeth SCHWATZ氏を中心として活溌に行なわれた。また本学の学生から、合理主義の定 義に関する本質的な質問があった。
宗教の問題と同時に、合理主義は比較思想の今後の重要なテーマとなるであろう。





三浦謙*:Astronomy in the Edo(Tokugawa) Period, a Way of Natural History (「江戸時代の天文学・自然誌的方向」)
 発表内容は、江戸時代の科学の代表例として海外へも紹介されている、高橋至時、間重富による幕府天文方の改暦事業と、そのための、漢訳文献およびその後 のオランダ語文献の研究による西洋天文学の摂取の過程が、実用的な目的での自然研究と見なされる傾向があった。しかし、彼らと密接な関係のあった、優れた 製作者の岩橋善兵衛による望遠鏡が、改暦のような実用目的だけではなく、京都、大坂の知識人によって好奇心に基づく天体観測に用いられ、同時に西洋的な宇 宙観が注目されていたこと、これは数学的な天文理論への関心ではなく、自然誌・博物学的な関心に基づいていたことを紹介し、江戸時代の自然研究の一側面を 示した。
発表に対してガンドン先生から、当時の自然哲学と天文学の関係について質問があり、西洋と日本の科学・自然観について議論がされた。





○まとめと謝辞

今回のシンポジウムが成功裏におわった。
これはひとつには、学生諸君の英語による真摯な発表とこれに応答するパスカル大学の先生方の丁寧な指導による。
もうひとつは通訳と司会をお願いした石田氏が、学生諸君の発表を事前に点検し適切なアドヴァイスをしていただいたこと、またご自身の発表も全体の議論を考 慮していただいたことによる。


フランス側参加者


シ ンポジウム会場前での出席者
シ ンポジウム会場でのお茶大大学教員の発表
シ ンポジウム会場でのお茶大大学院生の発表





ク レルモンフェ ランのブーレーズパスカル大学
哲学・合理性研究センターの前にて




(文責 三浦謙)




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Last Modified 2007/03/09     責任 者:古瀬奈津子 担当者:久米彩子