言語文化と日本語教育 2002年5月特集号

特集号『第二言語習得・教育の研究最前線』の発行にあたって

佐々木 嘉則・長友 和彦


1. レビュー論文集刊行の背景

本特集号は、第二言語としての日本語習得あるいは日本語教育・国語教育にまつわる諸々のテーマをめぐる、21本の総括(レビュー)/展望論文を収録している。そのテーマは特定の文法形式や品詞類型の習得を論じた微視的なものから一国の外国語教育政策の史的変遷を概観した巨視的なものまで多岐にわたる。その中には狭義の習得論や教育論にとどまらず、国語学や社会言語学の観点にたって言語事象を記述分析した先行研究を概観するものも含まれている。

これら21本のうち依頼論文を除く20本は全てお茶の水女子大学の2001年度の大学院博士後期課程(人間文化研究科国際日本学専攻応用日本言語論講座)における担当科目として筆者らが開講した「第二言語習得論演習」で受講生がそれぞれ執筆・発表した課題論文をもとにしており、外部協力者の査読意見に基づき加筆修正のうえ審査を通過したものがここに収録されている。論文の論題は多くの場合、執筆者の博士論文研究のテーマに関わっており、したがってこれらのレビューはそのまま各自の博士論文の基盤をなすものでもある。20名の投稿論文執筆者の大半は応用日本言語論講座の所属であるが、豪州の日本語教育事情に関する論考を寄せた鈴木京子氏は教育臨床論コース(講座)に在籍している。

2. 本特集号のねらい

「レビュー論文だけを集めた学術誌特集号」は、日本語教育学の世界では異例な企画といえる。それのみならず、日本語応用言語学関連の雑誌を通覧してみても、先行研究の成果を徹底して総括した本格的なレビュー論文は極めて少なく、Annual Review of Applied Linguistics、Language Learning、Studies in Second Language Acquisitionなど主要学術誌上に頻繁にレビュー論文が掲載される英語圏の応用言語学界とは大きく事情が異なる。

このことが斯界の研究の発展にとって憂慮すべき事態であることは言うまでもなかろう。およそ学術研究においては、概論書レベルの基礎知識を既に有する研究者が新たな研究課題に取り組むにあたっては、個々の研究報告にあたる前にまず良質のレビューを精読することが常識とされている。そのいわば詳細な見取り図なくしては、徒に膨大な文献の山に迷い込み貴重な研究時間を浪費することになりかねないからである。

本号がそういった間隙を埋める一つの踏み石となり、若手研究者のよき道案内となれば幸いである。とりわけ、これから卒業論文や修士論文のテーマを探そうという学部生・大学院生や、大学院を受験するため研究計画書を執筆する必要に迫られている志願者にとっては、本書は効率よく各研究分野の動向をつかみその中から未解決の興味深い研究テーマを絞り込むための研究ガイドの役割を果たすことと期待している。いったんテーマが決まれば、各論文末尾の参考文献リストを手引きに先行研究を順次読み進めることができよう。

一方、既に自分の専門領域を確立したシニア研究者も、研究・教育を進めているうちに隣接領域の研究動向を概観したくなることがよくある。しかし、そのたびに多忙な本務の合間を縫って他分野の膨大な文献全てに目を通すことは難しい。とりわけ日本語教育研究は国語学、日本語学、言語学、言語習得論、言語心理学、認知心理学、発達心理学、社会心理学、比較文化心理学、教育心理学、教育工学など広範な関連分野の成果を援用しつつ進められる学際的領域だけに、一個人がその全てにわたって一次文献に精通することは事実上不可能である。それゆえ、まず良質のレビュー論文を通じて他分野の概要を大掴みにすることにより、研究者相互の円滑な成果交換が可能になろう。

とりわけ日本国外に在住している研究者にとって、国外では閲覧が難しい国語学系雑誌や各種の大学紀要、科学研究費報告書を含む諸文献を豊富に紹介した本号は、日本での研究動向を探る上で重要な資料となると期待している。第二言語教育・習得の研究においては母語や年齢を異にする学習者の様々な条件下での学習データを勘案して理論を構築修正していくことが不可欠なため、世界各国の研究者が互いの研究成果を知悉している必要性がとりわけ高い。ところが実際には、欧米圏では概して、日本国内で行なわれた習得研究や日本語学研究の成果を公表した邦文雑誌掲載論文を入手するための公式なルートが確立されていないため、日本における研究の情報を収集するためのコストはしばしば時間・労力と費用の両面で甚大となり、内外の研究者間の研究成果交流が困難になっていたのである。

しかもこういった邦文文献の大多数は外国語によるまとまった紹介がなされていないため、日本語習得に関心をもつ外国人応用言語学者にはその存在すら知られていない場合がほとんどである。本号収録の論文に英文要旨を付したのは、日本語に堪能でない外国人研究者にも日本での研究成果の一端を知っていただきたいという願いのあらわれである。

逆に日本国内の多くの大学図書館においては、海外の応用言語学関連文献の蔵書が絶対的に不足している。特に、海外における日本語教育の中心地である豪州、韓国、中国/香港、台湾などであげられた研究成果の多くは、今のところ国内在住の日本人研究者には知られる機会が乏しいというのが実情である。幸い本号には欧米圏のみならず豪州・香港・韓国等で発行された文献もいくつか紹介されている。今後も海外からの留学生の参加を得つつ【注記1:本号収録の投稿論文の執筆者20名のうち、7名が海外からの留学生である(うち韓国から5名、中国から1名、台湾から1名)。】このような取り組みをさらに発展させれば、日本にいながらにして海外での日本語教育学研究の動向を鳥瞰できる体制を築くことも可能となろう。

また、本号は応用言語学、特に日本語教育学講座における教科書あるいは副教科書としても好適な内容を収めている。既存のSLA概論書の多くは元来英語教師養成課程での使用を念頭において著されたものであり、英語固有の問題である形態素研究(morpheme study)などに紙幅を費やす一方では、英語に存在しない(しかし日本語学習には必須である)漢字熟語の習得などのトピックはほとんど完全に無視されている(漢字熟語については谷内(本号収録)を参照)。本来ならば日本語教師養成課程における第二言語習得論科目では受講者のニーズに即した第二言語としての日本語の習得論概説書を教科書として用いることが望ましいが、学部課程上級あるいは大学院レベルの通年科目の教科書として単独使用に耐えるような本格的な日本語SLAの概論書はいまだ現われていない。本書を単独で、あるいは既存のSLA教科書(たとえばSLA研究会(1994)、迫田(2002))と組み合わせて授業で使うことにより、そのような養成課程のニーズを幾許か満たすことが可能になると期待している。

一方、応用言語学研究から教育現場への示唆を求めておられる実践家の方々にも、本書は有益な情報源の一つ、「あすの日本語教育への道しるべ」として参照していただきたい文献である。そういう場合、必ずしも本書を一度に通読する必要はない。まずは本書の中で特に興味をひく論文を何本か読んだ上、さらに詳しい情報が必要であると感じれば引用されている研究論文や理論書の原著にあたることをお勧めしたい。

また、本号収録のレビュー論文は日本語に関する研究を紹介するに先立ってそれ以外の言語での先行研究も含めて概観したものが多く、それゆえ日本語習得/教育のみならず応用言語学の全般にわたって最新の研究動向を俯瞰する情報源としても有益である(『第二言語習得・教育の研究最前線』と銘打った理由はそこにある)。単行本形式の概論書/専門書は、執筆者がある章を脱稿してから出版まで場合によっては年単位に近い時日が経過しているため、出版時点で既に最新情報を洩らしていることが珍しくない。その後刷を重ねる間に収録情報はさらに遠い過去のものとなってしまうため、市中に出回っているロングセラー教科書では最近数年間の研究動向はカバーされていないのがむしろ普通である。甚だしきは、その間に研究のパラダイムが激変してしまい、教科書に載っているのは一時代前の研究動向のみ、ということすらありうる。

実際に、第二言語習得と学習動機の関係をめぐる議論ではこのような研究上のパラダイムシフトが1990年代の初頭に生じ、それ以降の動向を伝えていない習得論教科書の該当章は多分に陳腐化してしまっている(その間の事情は守谷(本号収録)に詳しく紹介されている)。

幸いにして本号は学術研究誌の増刊号として刊行され、国内外の執筆者および査読協力者との間でインターネットを介して草稿やコメントをやりとりすることで編集作業の効率を大幅に向上できたため、査読結果を踏まえた最終稿の提出から数週間のうちに出版物として世に送ることが可能となり、出版時点での最新の研究情報が盛り込まれている。本書を通覧すれば、2002年あるいは2001年付けの、文字どおり新世紀の最新の研究報告が随所で紹介されていることに気づかれることであろう。

3. 本号の構成

冒頭の序章「日本語の習得と教育:その研究の現状と課題」では、長友和彦が自らの研究歴をふりかえりつつ、今後の日本語習得研究のさらなる発展のために提言を投げかける。一方、佐々木嘉則は日本と米国のそれぞれの習得研究のアプローチを、両国の様々な「お家の事情」をふまえて比較している。

それに続き、本号では21本のレビュー論文を7つの章にまとめ、それぞれ当該分野の研究者による解説を付して読者の便宜をはかっている。

伝統的な第二言語習得研究の中核領域である「文法形式と機能の習得と使用」を扱う第一章は、この分野の権威である白井恭弘氏(コーネル大学)にお願いした。この章に収められた習得順序(峯布由紀)・連体修飾(齋藤浩美)・アスペクト習得(菅谷奈津江)・モダリティ-(黒滝真理子)・ら抜き言葉(辛昭静)・引用表現(杉浦まそみ子)・文法教育(小池圭美)に関する計7本の論文を、白井氏は第二言語習得論の最重要テーマの一つである「教示の効果性」という観点から総括している。

これに対し、言語科学において近年とみに注目を集めているのが語彙研究である。特に認知言語学および認知心理学が語彙研究に与えている影響は著しい。第二章「語彙の習得」は、認知言語学を日本語習得研究に応用したパイオニアである森山新氏(お茶の水女子大学)が解説を担当している。この章は、語彙習得研究全般の概観(谷内美智子)と、複合動詞に的を絞った詳細なレビュー(松田文子)の2本の論文を収めている。奇しくもこの章でも、谷内が偶発附随的学習の役割に光を当てているのに対し、松田はむしろ語の意味の核心を明示的に教示する必要性を説いている点が興味深い。

文法・語彙とならび発話にあたって不可欠のもう一つの中核的要素とされるのが音声である。長短母音の習得に関する論考(小熊利江)を収めた第三章「日本語音声の習得」は、日本語学習者の中間言語音声の研究者である福岡昌子氏(三重大学)に解説をお願いした。

以上の3つの章の収録論文が言語を構成する文・語・音の要素をそれぞれ個別に取り出して論じた、いわば微視的視点に立つものであるのに対し、話し手と聞き手の相互作用を通じて生じる現実の話し言葉の実態を生の形で扱った論考を集めたのが第四章「会話研究と日本語教育」である。この章は、談話分析・会話分析の専門家である佐々木泰子氏(お茶の水女子大学)に責任編集をお願いし、turn-taking(金志宣)・あいづち行動(陳姿菁)・電話会話(林美善)・ビジネス日本語(李志暎)に関する4本の論文を収めている。

これに対して、主として書き下しの文章(テキスト)をめぐる論議を扱った第五章「文章の産出と理解」は、メタ言語研究の専門家である西條美紀氏(東京工業大学)が解説している。この章には文章論(李貞旼)・聴解理解(尹松)・ライティング教育へのピア・レスポンスの応用(池田玲子)をめぐる3本の論文が収められている。

以上の5つの章は言語を主に認知的観点からとらえたものであるが、ことばの学習には当然ながら「知」だけでなく「情意」の側面も重要な役割を果たす。第六章「言語学習と動機づけ」は、第二言語習得論と動機づけの関係を扱う守谷智美の論考を収めている。この章は、社会心理学および異文化間カウンセリングの専門家である加賀美常美代氏(お茶の水女子大学)にお願いし、習得と動機づけをめぐる議論の背景となる社会心理学的研究の流れを御解説いただいた。

言語の学習はこのように様々な角度から個人あるいは小集団の内面過程として分析することも可能であるが、現実の習得は常に社会経済的な文脈の中で起きている。中でも動機づけをはじめとする情意的要因は、社会的な文脈と絡み合った時にとりわけ大きな影響を言語の習得や使用に及ぼす。

そこで、多言語・多文化社会へと急速に移行しつつある日本社会の現状を踏まえた第七章「多言語・多文化社会における日本語教育と国語教育」は、二言語併用教室における言語使用(原みずほ)、多文化社会として日本の先輩格にあたる豪州での日本語教育の歴史的展開(鈴木京子)を扱う二本の投稿論文に加え、村松賢一氏(お茶の水女子大学)にお願いして多言語・多文化時代の国語科における音声言語教育の展望を御寄稿いただいた。この章の解説は、岡崎眸氏(お茶の水女子大学)の指導のもとで国語教育と日本語教育の接点を探る先駆的な試みを続けている清田淳子氏(お茶の水女子大学大学院)が担当している。

 なお、本号からの初の試みとして、収録論文を「動向報告」と「展望論文」の二つの範疇に区分した。「動向報告」は、研究の流れや関連する概念・学説を的確に紹介することで新進研究者にとって資料的価値のある有益な文献となっていることを基準に採否を審査した。

これに加え、未解決の研究課題の解決策(または有力な手がかり)を新たに提案する、あるいは先行研究の論点を新しい角度からとらえ独自の再整理・総括をする、メタ分析によってこれまで知られていなかった全体像を描き出すなどのオリジナルな貢献があると認められるのが「展望論文」である。

以上の収録論文で取り上げられている参考文献は延べ1000点以上に及ぶ。しかもそのうちの多くは、1990年代以降の新しい研究成果である。

また、解説陣・編集委員の顔触れをみれば一目瞭然なとおり、本号は留学生センター・文教育学部・大学院の三部門に分属する日本語教育学専攻の教官が一体となって日本語教育学の専門指導にあたっている、お茶の水女子大学のユニークかつ効果的な教育体制があってはじめて今の形にすることができたものである。さらに学外からは、随時ゼミや研究会に参加して貴重なコメントをくださっていた白井恭弘・西條美紀・福岡昌子の三氏を解説陣にお迎えし、型にとらわれず風通しのよいお茶の水女子大学の自由な学風を活かすことができた。今まさに博士論文研究の完成を目指して内外の文献をばりばりと読みまくっている大学院在学中の新進研究者と、各方面で多年にわたりそれぞれの研究テーマを追求し続けているシニア研究者の、それぞれの持ち味を合わせ活かした成果の一つの集大成として、ここに本号を世に送りたい。

4. 謝辞

多忙をおして短期間の間に綿密な講評をお寄せくださった査読協力者の諸先生方および、執筆要綱の準備・執筆者との連絡調整やスケジュール管理・フォーマットチェックなどの実務に御活躍いただいた編集事務局実行委員の林美善・齋藤浩美・峯布由紀・谷内美智子の四氏に深く御礼申し上げる(この四氏はそろって、投稿論文の著者としても本号に登場している)。編集・発行にあたっては全過程を通じて、日本語教育コース助手・石崎晶子氏から多大の助言と技術指導・ノウハウ提供を含む御助力をいただいたほか、菅谷奈津恵氏(お茶の水女子大学大学院)からも御協力を得た。Richa Ohri氏(お茶の水女子大学大学院)ならびにRuth Kanagy氏(国立国語研究所)には、英文書名ならびに英文要旨の準備にあたって協力を仰いだ。また、本特集号を市販ルートに乗せるにあたって御尽力いただいた凡人社、特に編集部の小山美香氏に感謝申し上げたい。なお、本号の刊行は日本語習得・教育に関する研究のレビュー論文集編纂を目的とする長期プロジェクトの一環であり、このプロジェクトは2002年度から文部科学省科学研究費補助金 の助成を受けている。【注記2:「第二言語としての日本語習得研究のレビュー論文集編纂と刊行・オンライン配信」基盤研究(C)(2)課題番号14580326】

参考文献

SLA研究会(編)(1994)『第二言語習得研究と最新の英語教育』大修館

迫田久美子 (2001) 『日本語教育に生かす第二言語習得研究』アルク

ページの最初に戻る


Last updated: 2002-06-03 (Y-M-D)