氏名

伊藤 智美

修了年度

2013年度(2014年1月提出)

修士論文題目

地域日本語教育における持続可能に生きる力の養成を目指した教室活動 ―初級者の認識の言語化と深化に注目して―

要旨

(500字以内)

 近年、グローバル化において日本にも定住外国人が増える中、地域日本語教育では多様な学習者の対応に追われている。文化庁による『「生活者としての外国人」のための日本語教育事業』では定住外国人が学ぶべき日本語が位置づけられているが、地域日本語教育は日本語の習得のみでなく、社会の現状を知り、能動的に生きることを目指す場であるべきである。しかし、持続可能に生きる力の養成を目指す教室活動及び教材は学習者の言語的負担が大きいと考えられる。そこで本研究では持続可能に生きる力の養成を目指した教室実践において、日本語初級レベルの非母語話者参加者1名金(仮名)が、自身の認識をどのように言葉にし、また、その認識をどのように深めていったかを明らかにすることで、地域日本語教育における教室活動への示唆を得ることを目的とする。教室でのやりとりを質的に分析した結果、金はグループの他の参加者との相互交渉を得て自身の認識を言語化している様子が見られた。さらに、議論を通じて他者の認識を取り入れ、自身の認識を深化させていた。

要旨

(1000字以内)

 近年、グローバル化において日本にも定住外国人が増える中、地域日本語教育では多様な学習者の対応に追われている。地域日本語教育は「共生」を目標とするとしながらも、現場では文法積み上げ式の教科書を使用した活動がなされている教室が多いことや、文化庁による『「生活者としての外国人」のための日本語教育事業』では定住外国人が学ぶべき日本語が位置づけられていることから、日本語習得に重きが置かれているのが現状である。しかし、母語以外の言語を学習することは特に成人にとって容易ではなく、ある程度の日本語習得を待ってのち、持続可能に生きる道を模索していくことは、社会と自己とを乖離させてしまう期間を作ってしまうことになると考えられる。言語の壁によって社会と切り離される期間を作ることなく、初級の段階から日本語習得と並行して、自身が生きる社会を認識し能動的に生きるという持続可能に生きることを目指す機会を提供することが必要なのではないだろうか。
 持続可能に生きる力の養成を目指す教育に、持続可能性日本語教育がある。しかし、持続可能性日本語教育では社会における問題をテーマとして扱うため、学習者の言語的負担が大きいと考えられる。そこで本研究では持続可能に生きる力の養成を目指した教室実践において、日本語初級レベルの非母語話者参加者1名金(仮名)が、自身のグローバル化に対する認識をどのように言葉にし、また、その認識をどのように深めていったかを明らかにすることで、地域日本語教育における教室活動への示唆を得ることを目的とする。

 フードロスをテーマとして扱った授業回を取り上げ、金の教室でのやりとりを質的に分析した結果、他の参加者との相互交渉を経て自身の認識を言語化している様子が見られた。金はフードロスの原因は広報における大企業と自営業の力の差であるという認識を伝えようとし、それは聴き手の対話を構築しようとする積極性、他者による金の認識の言い換え、金や他者による例示、母語での認識に他者が日本語のラベルを貼っていくといった相互交渉によって支えられて達成していた。さらに、議論を通じて他者の認識を取り入れ、第一段階、第二段階を経て自身の認識を深化させていた。第一段階として、他者の視点を取り入れ、国内の流通から国家間への流通へ問題意識の拡大が拡大し、新たな視座を獲得していた。第二段階として、他者の視点を取り入れ、自己を起点とする問題意識へと認識を深化させ、問題について自己を起点に考えることができていた。

最終更新日 2014年3月24日