氏名 |
山口 優希子 |
修了年度 |
2011年度(2012年1月提出) |
修士論文題目 |
インタビュー調査から見た在日ブラジル人学校の高校生がおかれる言語生態の実態 |
要旨(500字以内) |
1990年の入管法改定以降、日系ブラジル人が労働者として日本を訪れはじめて久しい。その人口増加とともに、集住地域も増え、労働、子どもの教育といった彼らの生活に関する問題がたびたび報告されるようになった。中でも、不就学、ダブルリミテッドといった子どもに関する問題は、度々議論の的となっている。一方、日伯の往復を経験し、両方でのダウンルートに成功した例として、彼ら「トランスナショナル」な存在として、好意的に解釈されることも増え始めた。しかし、生徒の視点からその実態を質的に分析したものは、管見の限り見当らないため、今回の対象とすることにした。 本研究では、在日ブラジル人学校に通う高校生が抱えている問題を明らかにし、その事例から、「トランスナショナル」という言葉の使われ方を検証することを目的に、ブラジル人学校の高校生2名を対象にポルトガル語で合計7回の半構造化インタビューを行い、生徒の人間活動及び言語活動がわかる部分を抽出し、彼らの言語生態がどのようなものであるかという視点から、分析を行った。 分析の結果、生徒の中に【夢を語る自己】と【夢から遠い自己】が存在していること、様々な生活の場で、言葉が機能しておらず、周囲からトランスナショナルであることを強いられているものの、現実の彼らは、行き場のない「根無し草」のような状態に置かれていることがわかった。本来ならば助けになるはずの情報や日本語支援さえも、十分に生かせる環境におらず、生徒たち自身が生活を見直す機会を持つことの必要性と、それに気付きを与えるサポートのあり方が示唆された。 |
要旨(1000字以内) |
1990年の入管法改定以降、日系ブラジル人が労働者として日本を訪れるようになって久しい。その人口増加とともに、ブラジル人コミュニティーと呼ばれる集住地域も増え、それに比例するように労働、子どもの教育といった彼らの生活に関する問題がたびたび報告されるようになった。中でも、不就学、不登校、非行、ダブルリミテッドといった子どもに関する問題は数が多く、度々議論の的となっている。一方、日本とブラジルを行き来するうちに、両方でのダウンルートに成功した例として、彼らが「ブラジル」でも「日本」でもない、それらを越えた「トランスナショナル」な存在であるとする動きも出始め、「マルチリンガル」、「国際人」といったように、好意的に解釈されることが多い。しかし、生徒の視点からその実態を質的に分析したものは、管見の限り見当らないため、今回の対象とすることにした。 本研究では、在日ブラジル人学校に通う高校生が抱えている問題を明らかにし、彼らの事例から、「トランスナショナル」という言葉の使われ方を検証することを目的に、ブラジル人学校の高校生2名にポルトガル語で合計7回の半構造化インタビューを行った。インタビュー結果は文字化後、生徒の人間活動及び言語活動がわかる部分を抽出し、彼らの言語生態がどのようなものであるかという視点から、分析を行った。今回、言語生態学的視点を用いたのは、言語生態学が言語の多様性・育成を重視しているだけでなく、それらが育成される過程で言語を社会や人間の生活の中でとらえようとするものであり、人間の継続的発達を目指しているという点が、「トランスナショナル」という概念を検証する際、生徒のダウンルートを促しているか否かを検証するのに適していると考えたためである。 分析の結果、生徒の中に【夢を語る自己】と【夢から遠い自己】が存在していること、「地域」「家庭」、「学校」、「アルバイト先」といった生活の場で、言葉が機能しておらず、周囲から「トランスナショナル」であることを強いられているものの、現実の彼らは、行き場のない「根無し草」のような状態に置かれていることがわかった。本来ならば助けになるはずの情報や日本語支援さえも、十分に生かせる環境におらず、生徒たち自身が生活を見直すことの必要性と、それに気付きを与えるサポートのあり方が示唆された。 |
最終更新日 2012年11月10日 |