氏名

石 暁文

修了年度

2011年度(2012年1月提出)

修士論文題目

中国語を母語とする日本語学習者の「きっと」の習得研究
−言語転移理論の観点から−

要旨

(500字以内)

 本稿は「きっと」において、さまざまな用法に関する学習者の認識が日本語母語話者とどのように異なるか、そして、習熟度によって、どのように異なるかについて調査し、その原因をKellerman (1979)の言語転移の観点から考察した。日本語の「きっと」のプロトタイプは「推量」用法である。一方、中国語の「一定」の場合、「意志的」用法がプロトタイプである。そのために、「意志的」用法と「推量」用法が混ざっていた14項目の文判断テストを実施した。その結果、母語話者は「意志的」用法の受容度を判断する際に、予想通り、強い抵抗感を示したが、学習者は抵抗感が低かった。また、「推量」用法の場合は、学習者は母語話者とは逆の受容を表した。プロトタイプ適用例は受容されやすく(言語転移しやすい)、非プロトタイプ適用例は受容されにくい(言語転移しにくい)と主張したKellerman(1979)の理論から説明できる。また、「きっと」の「意志的」用法を受容する際に、上位群は下位群(日本語レベル)より受容度が低くなり、母語話者に近づいている傾向がみられる。そして、「きっと」の「推量」用法については有意差がみられなかった。それはKellerman(1979)で指摘したように、母語では「有標」であるものは転移しにくいということが考えられる。 

要旨

(1000字以内)

 本稿は陳述副詞「きっと」において、さまざまな用法に関する学習者の認識が日本語母語話者とどのように異なっているかを明らかにし、その原因をKellerman (1979)の言語転移の観点から考察する研究である。日本語の「きっと」には「意志」「推測」「依頼」「確率」用法があり、学習者の母語である中国語の場合、意味が似ている副詞「一定」があるが、その意味は「意志」「推量」「依頼」用法である。そのため、母語話者と学習者では、「きっと」のプロトタイプが異なる可能性があると考えられる。「意志的」用法の正文と誤文、また「推量」用法の正文と誤文が混ざっていた14個項目の文判断テストを実施した。実験の結果、母語話者は「意志的」用法の受容度を判断する際に、予想通り、強い抵抗感を示したが、学習者の抵抗感はそこまで高くなかった。また、「推量」用法の受容度を判断する際に、母語話者はあまり抵抗感がなかったが、学習者は母語話者とは逆の受容を表した。母語において基本的な意味、具体的な意味を含んでいる場合、学習者の受容度は高くなった。これは母語の「無標」項目は転移されやすいと主張したKellerman(1979)の理論から説明できる。即ち、本研究ではKellerman(1979)の主張を追認するかたちとなった。また、「きっと」の意味領域に関して、習熟度によって、どのように異なるかについて調査した。その結果、「きっと」の「意志的」用法の項目を受容度判断する際に、上位群は下位群(日本語レベル)より受容度が低くなり、母語話者と近づいている傾向がみられる。しかしながら、下位群の方は受容度が高く示していることが分かった。即ち、「きっと」のプロトタイプは「推量」用法である。一方、中国語の「一定」の場合、「意志的」用法はプロトタイプである。意味の範囲は似ていても、その人の母語によって最も活性化されやすい心理的プロトタイプが異なっている可能性がある。下位群は第二言語習得においての第一段階「母語から目標言語への言語的な変換作業」というプロセスに、母語中国語の「一定」のプロトタイプの転移により「意志的」用法がプロトタイプとなる可能性がある。即ち、日本語の「きっと」の「意志的」用法を多く使用している可能性がある。そして、「きっと」の「推量」用法について上位群と下位群の間は有意差がみられなかった。その原因はKellerman(1979)が指摘したように、母語で「有標」であるものは転移しにくいということが考えられる。以上のように「きっと」の「推量」用法の習得が遅れる可能性が窺えた。
最終更新日 2012年11月10日