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お茶の水女子大学大学院人間文化研究科教授 特設遺伝カウンセリングコース代表 千代 豪昭 略歴 1971年 大阪大学医学部卒業 大阪大学医学部附属病院(小児科研修医) 1973年 神奈川こども医療センター遺伝科 1975年 兵庫医科大学遺伝学講座(助教授) (在職中、西ドイツ・キール大学小児病院 細胞遺伝部へフンボルト留学) 1984年 金沢医科大学人類遺伝学講座(主任助教授) 兼 人類遺伝学研究所臨床部門主任 1988年 大阪府環境保健部(保健所長、副理事) 1994年 大阪府立看護大学(教授) (生命倫理、医療概論、臨床遺伝学、公衆衛生学担当) 2004年 お茶の水女子大学人間文化研究科 ライフサイエンス専攻遺伝カウンセリングコース(教授) |
遺伝カウンセリングの変遷
日本における遺伝カウンセリングの発達経過、お茶の水女子大学の遺伝カウンセリングコースが立ち上がった経緯、その将来への展望について簡潔にお話しする。
「遺伝カウンセリング」という言葉は1950年代にアメリカでリード博士が最初に使ったと言われている。アメリカで発祥した遺伝カウンセリングは、「過去の優生学からの脱却」と「近代遺伝医学の発達を背景とした正確な科学情報の提供」であり、またこれが中心的な理念であった。当然、遺伝カウンセリングは医者が担当していた。
日本では1970年頃から「遺伝相談」という名称でアメリカ型の遺伝カウンセリングの普及活動が始まった。ちょうどその頃の新しい母子保健政策の追い風を受けて遺伝相談は順調に広まるかに見えたが、同じころに普及が始まった出生前診断の優生学的背景が指摘されたり、また日本独自の医療制度上の事情があったりで、遺伝カウンセリングは医療の中では発展普及しなかった。
1980年代になると、遺伝医療が急速に進展し、遺伝カウンセリングが注目されるようになった。わが国では遺伝カウンセラーは医師であったが、欧米では専門職の遺伝カウンセラーの養成が始まった。ようやくわが国でも2000年頃から、専門職の遺伝カウンセラーを必要とする社会的な情勢が整ってきて、現在に至っている。その医療における大きな変化としては次のような点が挙げられる。 @ 医療思想の変化、A 遺伝医学の発達、B 遺伝病の概念の変貌、C 患者の権利と倫理思想の発達、 D カウンセリング学の発達、などである。
医療思想の変化については、たとえば「患者の権利章典、自立的決定、インフォームド・コンセント、カルテ開示、個人情報の秘守、セカンドオピニオン」などという言葉からわかるように患者中心の医療に変わってきていることがあげられよう。「倫理委員会、個人情報の保護管理、倫理ガイドライン」などの言葉に代表されるように、倫理的な対応が非常に厳しくなってきた状況もある。同時に、医療の中ではチーム医療が発達してきて、以前は医師中心に組み立てられていた医療が、数々の専門医療職の協同作業で行われるようになってきたし、それまでは病院中心だった医療の場が次第に地域レベルに広がって来たという状況もある。こういった医療思想の変化が専門職としての遺伝カウンセラーを必要とする一つの背景になっているのである。
遺伝医学の発達については、日本でも1980年頃から遺伝子検査の研究が進展してきており、また出生前診断などに見られるように生殖科学も非常に発達してきている。こうしたことからもクライアントの自律的な決定や倫理的な背景が重視されるようになった。
遺伝病の概念が変わってきたことも重要である。多因子性疾患(癌、生活習慣病など)の遺伝学的背景が解明され、人のゲノムプロジェクトが一段落した現在、近い将来にはオーダーメイド医療へ発展するであろうし、遺伝医学はさらに新しい予防医学へと展開していく可能性がある。つまり、遺伝病の概念が変わったことによって、遺伝カウンセリングが対応する領域が古典的な遺伝病や先天異常だけを対象としていた時代とは比較できないほど拡大したのである。
専門職カウンセラーの職域
このように、遺伝医療が非常に発達してきたことで従来のわが国の医療システムの中にはなかった専門カウンセラーというものが要求されるようになった。なぜ医師のカウンセラーではダメで専門職のカウンセラーが必要なのだろうか。まず第一にカウンセラーはクライアントの自律的な決定を援助する立場であるから、治療技術を提供する医師とは役割が違うのである。第二にカウンセラーはある意味ではセカンドオピニオンを提供する立場であるから、何よりも倫理的な独立性ということが大切である。さらに、遺伝医学の最新情報だけではなく、専門的なカウンセリング技術を習得している専門職カウンセラーでなくては出来ない仕事がたくさんあるのである。
しかし、日本で専門職遺伝カウンセラーが医療現場で受け入れられるかどうか、むずかしい問題もある。専門職遺伝カウンセラーがまだ現場にいない現状では、遺伝カウンセリングは医師が担当している。経営学的には、医者は高賃金であるから遺伝カウンセリングのように時間がかかる業務を医師に割り当てるのは好ましくないが、必ずしも経営学の原則にそっていないわが国の医療システムでは、専属の職員を雇用するより医師に遺伝カウンセリングを担当させたほうが経営効率が良いと言われる。その結果、専門職カウンセラーの職域が広がってこないという、日本の医療の構造的な問題が背景にあることは間違いない。しかし、それが将来的にも通用していくこととは思えず、今後は専門職カウンセラーの仕事は専門職のカウンセラーに渡していく方が医療経営の立場からも患者の立場からも良いという社会になってくるだろう。
お茶の水女子大学特設遺伝カウンセリングコース
お茶の水女子大学の遺伝カウンセリングコースには「特設」という言葉がついているが、これは文部科学省の科学技術振興調整費から資金が導入されていることによる。お茶の水女子大では、既に2004年4月に自力で理学部の先生方を中心に心理学などの先生方のご協力を得て遺伝カウンセリングコースを立ち上げていたのであるが、その半年後(2004年10月)に文部科学省からの資金援助を獲得し、今度は特設コースが中心となって教育を進めている。本学のコースは前期課程2年間・後期課程3年間の計5年間のコースであり、特設コースも資金は5年間継続する。特設コースは教育研究が主目標であるから、5年後に研究が終了した段階で、もとの既設コースに戻って、教育を継続する予定である。
本学のコースでは、最初の2年間は講義と演習を中心に学ぶ。3年目(後期課程の1年生)の1年間に外部で臨床の場を中心に実習を行って、遺伝カウンセラーの認定試験の受験資格を取得する計画になっている。既存の講義科目を整理しながら、遺伝カウンセリング養成の教育モデルを作っていきたいと考えている。
本学の遺伝カウンセリングコースは、理学部・文教育学部を母体とし、その大学院である人間文化研究科に属している。実際の臨床の場としては、東京女子医科大学と提携を結んでおり、実習だけでなく、臨床遺伝学・遺伝医学などの教員も東京女子医科大学の方からサプライされている。実習の場はこの他にも幾つか確保するべく準備を進めている。
講義科目としてはかなりたくさんなものがあり、基本的には人類遺伝学・臨床遺伝学・心理系の科目・倫理・社会・実習が中心になるが、理系・医系・人文社会系と幅広い教育を行なうので、これまでの大学に例のない、ユニークなコースである。
現在、遺伝カウンセラーを養成する課程として、信州大学・北里大学・お茶の水女子大学にコースがある。その他に平成17年度に立ち上げようと準備している大学や遺伝看護修士課程を持つ大学もある。こうした幾つかの課程で、先般資格化された遺伝医療認定医と併せて日本の遺伝医療を支える非常に重要なマンパワーが育っていくであろう。
今後の課題
今後に向けて、認定制度の問題とか、大学間の教育の質をどう担保していくかとか、そのレベル向上を目指すためには、といった課題が残っている。中でも現在の非常に大きな問題は、認定遺伝カウンセラーの社会的認知の件である。早い時期に、広く社会の認知を得た上で、認定遺伝カウンセラーに様々な分野で活躍してもらえるよう、そのための方策を種々考えているところである。主な活躍分野は医療施設であることは間違いないが、従来、病院の医療スタッフの中には遺伝カウンセラーという職域はなかったために、これにどう取り組んでいくか、議論がかわされている。過去20年くらいの間は、日本の医療システムの根幹をなしている国民健康保険制度の中に遺伝カウンセリングを組み込むことで遺伝カウンセリングの社会的な認知を得ようと、私たちは努力を重ねてきた。しかし、遺伝カウンセリングが国民皆保険制度にそぐわないとか、財源問題などが原因で私たちの努力は実らなかった。現在では、むしろ遺伝医療では患者の人権や利益を守るために遺伝カウンセリングが必須という倫理的なガイドラインで社会の認知を受けていく方が実質的だろう考えている。
専門職遺伝カウンセラーの活躍分野
専門職の遺伝カウンセラーについて考えてみたい。遺伝医療の発展により、遺伝の知識は健康増進や保健活動でも必要になるので、医療施設だけではなく、市町村の保健行政機関でも遺伝カウンセラーが働く時代がくるだろう。また私たちが養成している遺伝カウンセラーは遺伝学や人類遺伝学の教育能力もそなえていると考えられる。わが国の医療従事者教育では遺伝学教育が遅れていると指摘されながら、専門家がいないという現状がある。例えばわが国に100以上新設された看護系大学で遺伝学や遺伝医学を教育できるスタッフはほとんどいない。今後、遺伝カウンセラーの養成専門課程に大学院の後期課程が整備されれば、遺伝学や人類遺伝学の教員スタッフとして供給していくことも可能であろう。日本でもすでに30万人を対象としてハップマップと同じような研究がスタートしている。
遺伝医学の成果は、近い将来にはオーダーメイド医療や予防医学の一環として国民の健康増進にも利用される時代が来る。これらの現場では遺伝カウンセラーがキーパーソンとしての役割を果たすであろう。既にベンチャー企業などからは、遺伝カウンセラーを採用したいとの要望が出ている。
わが国の大学教育では前例のない新しい課程でもあり、社会の動きがあまりに速いこともあって、社会のニーズにあったカウンセラーの養成については未知数のところも少なくないが、国民の需要に合った教育システムを試行錯誤しながら作り上げて行こうと考えている。皆さんの応援をよろしくお願い致したい。