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「魅力ある大学院教育イニシアティ ヴ」によるシンポジウム

 哲学、倫理、宗教思想 ― 日本とフランス:交差する視点 ―

お茶の水女子大学からの発表概要


高島 元洋 (お茶の水女子大学文教育学部教授)
「倫理学と倫理思想史」
 日本近代の思想家・和辻哲郎は、「倫理学」を「間柄」(人間関係)で構成することで、デカルトのコギト(cogito)からはじまる西洋近代哲学とは異 なる思想を提示した。また和辻は、「倫理学」だけでなく同時に「日本倫理思想史」を構想する。ここに「倫理学」と「倫理思想史」とは別のものではなく、一 体のものであると理解された。この問題は、思想における普遍(倫理学)と特殊(倫理思想史)についての考察である。
 発表では、具体的に西洋思想と東洋思想、あるいはアジアと日本とを考えながら、日本における倫理学の可能性を探る。

頼住 光子 (お茶の水女子大学文教育学部助教授)
「道元の思想構造」
 本発表は、日本中世の仏教者であり、その深い思想を独自の表現によって語った道元(一二〇〇〜一二五三)の思想構造を解明することをめざす。まず、道元 において中心的な概念、すなわち、自己と世界について検討し、その真相が「空(くう)―縁起」であることを明らかにする。そして、それを踏まえて、どのよ うにして、禅僧が修行を通じて実現する「さとり」が成り立つのかを、「さとり」の様相を「解脱(げだつ)」と「現成(げんじょう)」に分節することを通じ て解明する。

大久保 紀子 (お茶の水女子大学文教育学部アカデ ミックアシスタント)
「本居宣長における神の概念」
 江戸時代中期の国学者本居宣長の神の概念については、彼の著作、および彼が日常、実際に執り行っていた祭祀を分析することによって知ることができる。本 居宣長は、神に人格的な要素を認め、また神を非常に具体的なはたらきをなすものとしてとらえていた。この二点は、先行する垂加神道の神の概念と鮮やかな対 照をなすものである。両者を比較し、その相違の意味を考察することによって、本居宣長の神の概念の思想史上における意味を明らかにする。


小浜 聖子 (お茶の水女子大学大学院人間文化研究科 博士後期課程)
「禅僧白隠の思想の特徴」
 江戸時代の禅僧、白隠慧鶴(1685-1768)の思想について、彼の著作をいくつか参照にしながら、主に修行観の特徴を、倫理学的な見地から述べる。
白隠は、日本の臨済宗の中興の祖と呼ばれており、公案を用いた修行体系を確立したことで有名である。また、その公案修行によって僧侶が体験する仏教の見性 (悟り)に関して、彼自身が自らの体験を著作の中に数箇所書き記しており、その内容は詳細で興味深いものである。この「見性(自己の本性を見ること)」 と、「悟後の修行」(見性した後も修行を続けること)とは、白隠が修行の際に掲げる重要な二点である。
 今回は、まず上記の公案に関して簡単な説明をする。次に白隠の公案修行観について、修行をめぐる「師弟関係」と、倫理的な「自己と他者の関係」とを関連 させて論じる予定である。


石崎 恵子 (お茶の水女子大学大学院人間文化研究科 博士後期課程)
「西田幾多郎の哲学」
 日本の近代は、1868年の開国以来、西欧の文化、制度、あらゆる面において貪欲に取り入れた点に大きな特徴がある。この時代に生きた思想家の中でも、 特に西田幾多郎(1870〜1945)は、古今東西、特に西欧の哲学書を読み漁り、その上で日本の伝統に基く独自の「西田哲学」を築いたとして、「日本の 哲学」の代名詞ともなっている。
 本発表では、西洋との対話を通して初めて明確になった議論の射程を紹介する。これは西田哲学の今日における研究意義であると同時に、学問全体の発展に とって重要な鍵となる問題系であろう事が指摘できる。たとえば、宗教と倫理の関係、コミュニケーションの障害と成立、科学論のパラダイムシフト、このよう な問題系について、既に仏教の可能性として指摘されている事が多々あるが、仏教を土台として西洋と対話した西田哲学では更に、こうした次元と、従来の論理 とが、相互関係の内に共に論じられている点が特に有益であるとの見解を示すものである。


三浦 謙 (お茶の水女子大学文教育学部助教授)
「安定性とモジュラー性・科学的知識の本質的性質」
 デカルト流の認識論に関する基礎付け主義に対し、パース、ノイラート、セラーズなどが次のように論じている。新規の知識を獲得するには、すでにある種の 背景知識がなければならない。そして、成熟科学の場合には、ファイグルが述べるように、実験や観察を実現するために、それらには経験法則の累積が備わる。 しかしこの科学観は、クーンによって導入されたパラダイム変化と科学革命に整合しない。そのため、科学的知識の本質的属性は何かを再検討することが必要で ある。私の暫定的答えは、利用される経験法則の安定性とモジュラー性である。


遠藤 千晶 (お茶の水女子大学大学院人間文化研究科 博士後期課程)
「科学と哲学」
 私たちは様々な事象の生起を因果関係のもとで捉える。例えば、私たちは〈コップを倒した〉ことと〈水がこぼれた〉ことを単なる事象の連続としてではな く、前者を後者の原因として、後者を前者の結果として捉える。こうした因果関係の認識は、カントによれば、知覚の継起に因果性のカテゴリーが図式に従って 適用されることによって成立するということになる。このカントの見解の内実は、ヒュームの議論と対比させることによってより明確になる。そこで本発表で は、まずカント『純粋理性批判』「超越論的方法論」におけるヒューム批判を検討し、カントが呈示する〈可能的経験〉という観点に着目することによって、 ヒュームとカントの描く基本的な構図の違いを明らかにする。その上で経験の「第二類推」における議論を取り上げ、因果の〈生起〉に含まれる意味内容に関す るカントの見解を検討した上で、知覚の〈主観的継起〉が持つ認識上の位置づけについて考察する。


木元 麻里 (お茶の水女子大学大学院人間文化研究科 博士後期課程)
「唯一性と多様性 −レヴィナスにおける他者の思考をめぐって−」
 レヴィナスは、西洋哲学史を他者忘却の歴史と名づけ、ユダヤ思想を背景として、西洋の伝統的思考構造からの脱出を目指した。それは、他者との関係に基づ けられたものとして主体を捉えなおすことにより、「私」の唯一性と世界の多様性の両立をめざす倫理学である。発表では、西洋(ヨーロッパ)対ユダヤという 特殊な二項対立を超えて尚、レヴィナスの他者論が 複数の歴史・国々を思考し、世界の真の多様性を可能にする力をもちうるのか検討する。





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Last Modified 2006/03/03       責任 者:高島元洋 担当者:久米彩子