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「魅力ある大学院教育イニシアティ ヴ」によるシンポジウム

 18〜19世紀、江戸から東京へ:都市文化の構築と表象


フランスからの発表概要

ニコラ・フィエ ヴェ Nicolas Fiévé (フランス国立科学研究庁・日本文明研究所研究助教授・コレージュ・ド・フランス)
「ブロックと鉄と線路 −1867年から1878年まで日本に派遣された第二次フランス軍事顧問団の一員、工兵隊将校ルイ・クライトマンの写真コレクショ ンに見る、東京の都市計画」
 クライトマン・コレクションは、1867年から1878年の間に第二次フランス軍事顧問団として日本に指導に赴いた工兵隊将校であり、理工科学校出身の ルイ・クライトマンが持ち帰った記録によって構成されている。およそ80年近くもの間人々に知られずに眠っていたこのコレクションは、1990年代になっ てルイ・クライトマンの孫により発見され、今日コレージュ・ド・フランス日本学高等研究所の図書館に所蔵されている。その時代には異例なことであったが、 ルイ・クライトマンはフランスから写真機とネガを持ちこんでいる。また当地で購入されたものは、彼の訪れた風景を代弁しており、そのことは彼の『日記』や 家族に宛てた多くの手紙が裏付けている。東京滞在中、あるいは箱根、日光、大阪、京都、長崎への旅行中に、クライトマンは自分が仕事を行った場所や訪れた 建造物、名所を分かりやすく写した。1876年から78年の日本は産業化のただ中にあり、西洋から新しい建設技術を取り入れていた。木像の建造物や橋に代 わってブロック、石、鉄といった構造が使われ、鉄道線路は大きな工業都市と港を結んだ。技術者であったルイ・クライトマンは、国中でこうした建造物や美術 作品を多く写真に収め、近代化の中で激動する日本の都市の様子を、我々に生き生きと見せてくれるのである。


アニー・ルノンシア Annie Renonciat (パ リ第7大学教授・文字研究センター所長)
「過去の再発見:『Voyages pittoresques et romantiques dans l’Ancienne France(古き良きフランスへの絵画的、ロマン主義的な旅)』に登場する名所、有名な歴史的建造物」
 この発表では、名所図会(18-19世紀)に見られる江戸‐東京という都市の表象に関する研究に付随し、『Voyages pittoresques et romantiques dans l’Ancienne France』に登場する名所や有名な建造物の様々な例を分析する。過去の建造物を忘却から救い、人々に広めようというテイラー男爵(1789- 1879)の計画から生まれた21巻からなるこの書物は、英仏百人あまりの芸術家が協力し、1820年から1878年にかけてフランスの地方の建築や風景 をくまなく紹介した。古い建築と過ぎ去ったアンシャン・レジームの時代の間にある、衰退と不運の共同体へのメランコリックな内省を伴う、イギリス美術とロ マン主義文学の混ざった「印象」の旅を通して、当時フランスに取り入れられたばかりの石版印刷の美学的な可能性を開拓したこの本の挿絵が、フランスにおけ る「絵画的」風景というテーマや理想型の誕生ににいかに貢献したかをみていきたい。そして、建築物の管理に無関心だったフランス人が、自らの遺産を発見 し、ゴチック美術に目覚め、崩壊寸前の建造物の修復に着手するにあたっても、これらの版画がどれほど役に立ったかに着目したい。


ヴェロニク・ベランジェ Véronique Béranger (仏 国立図書館管理員)
「19世紀フランスにおける名所図会の受容」
 名所図会というジャンルは、18世紀末に出版された「都名所図会」を皮切りに日本に登場する。これは、旅行者の訪れた都市の地域史や遺産の目録を、挿絵 と文章で作り上げたものである。土地ごとの歴史を普及させ、日本の地理を地形的に、そして知識的に把握しやすくするために作成された名所図会は、大きな成 功を収め、19世紀を通して重版を重ねるようになった。挿絵の豊富なこうした出版物に、ヨーロッパ人はどのような視線を注いでいたのだろうか?これらの書 物は、当時開国しつつあった国についての彼らの知識に、何をもたらしたのだろうか?
 フランスが国で所有するコレクションは、ヨーロッパの美術品蒐集家、知識人、旅行家がこうした書物に寄せていた関心の痕跡をとどめている。シーボルトに よって調査された名所図会は、挿絵入りの出版物や最初の旅行家たちによる旅行記を通じて、広く普及するようになった。その豊富な図像によって、日本につい ての知識の道具として認知されていた名所図会は、日本の開国そしてフランスにおける日本学研究の開始にあたり、日本へのアプローチにとって重要な要素と なった。そして、挿絵の様々な様式は美術愛好家たちを魅了したのだが、彼らは19世紀末、失われた文明の証をこの旅行案内書の内に見ていたのである。日本 の複雑なイメージが、こうして名所図会の様々な読み方から浮かび上がってくる。


及川 茂   (パリ第7大学客員教授・日 本 女子大学教授)
「河鍋暁斎の妖怪画」
 河鍋暁斎(1831-1889)は浮世絵師であると同時に狩野派の絵師でもあった。暁斎は芝と日光の徳川霊廟修復に尽力したが、また風刺戯画風の浮世絵 も世に出した。日本の近代化のただ中を生きた彼は、この激動の時代における民衆の行動を観察した。
 暁斎が好んで描いたテーマの一つが妖怪である。死後出版された『暁斎百鬼画談』は傑作のひとつであり、16世紀真珠庵に伝わる『百鬼夜行絵巻』としばし ば比較される。
 しかし暁斎が描く妖怪は、絵や浮世絵、画集、挿絵本等に現れ、その驚くほど多様な姿が特徴となっている。当発表では、河鍋暁斎が妖怪というテーマをいか に風刺画に描きこんだかを見ていきたい。


ダニエル・ストルーヴェ Daniel Struve (パ リ第7大学助教授)
「井原西鶴の小説における都市・江戸」
 井原西鶴(1642-1693)はしばしば上方、あるいは大阪の町そのものと不可分な人物とみなされる。彼はこの地の出身であり、新しい商人文化の中心 地としての知名度を上げることに貢献した。しかし西鶴の活動範囲はこの出身地にとどまることはなく、その作品からは日本の他の土地、とりわけ、大阪と同様 に巨大な中心都市であり、全国から訪れる人々の出会う場所、政治の中心地であった江戸にも関心を示していたことがうかがえる。町人物であろうと、武家物で あろうと、好色物であろうと、西鶴の作品 は一貫して、地方をめぐるかたちで構成され、三大都市(京都、大阪、江戸)をはじめとして、作品ごとに異なった都市に繰り広げられている。そこで、商業都 市・江戸、武士の町・江戸、吉原の江戸といった、さまざまな江戸のイメージの再構築を試み、こうした多様性をふまえ、井原西鶴の小説世界が作り上げられて いく中での「東の」中心点、「江戸」の機能と意味を探ってみたいと思う。


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Last Modified 2006/01/13 責任 者:高島元洋 担当者:久米彩子