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お茶の水女子大学大学院 人間文化創成科学研究科 比較社会文化学専攻 表象芸術論領域
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表象芸術論領域研究発表会を開催しました。

 去る2010年10月6日、表象芸術論領域では研究発表会を開催しました。
 当日のプログラムおよび発表要旨は下記の通りです。

開催日: 2010年10月6日(水)18:15〜20:15
会場: 文教育学部2号館110室
発表: 発表1: 18:15-18:45
     深澤南土実氏
     「ローラン・プティ《若者と死》-映像・資料にみるその変遷-」

発表2: 18:45-19:15
     川上 暁子氏
     「舞台における道化役の変遷とその表現行為の特性―アルレッキーノを手がかりに―」

発表3: 19:15-19:45
     齊藤 紀子氏
     「明治・大正期における関西ピアノ販売の実態について―三木楽器を事例として―」

発表4: 19:45-20:15
     福田 千絵氏
     「箏の童曲にみられる時代の潮流:芸術教育運動との関連から」

ローラン・プティ《若者と死》 ―映像・資料にみるその変遷― 深澤南土実

 1946年初演のローラン・プティ振付《若者と死》(Le jeune homme et la mort)は、当時のフランスの舞踊界で最も傑出した「事件」、「新しいバレエ」と言われた。その後も現在に至るまで男性ダンサーや観客を惹き付け、再演され続けている。《若者と死》の何が衝撃的/革新的だったのかを、映像・資料を通して検討した。
 《若者と死》は、ジャン・コクトーが当時「現代のニジンスキー」とみた天才ダンサー、ジャン・バビレのために脚本を考えた。作品の特徴は、ミモドラム(無言劇)であることと、バビレの身体性を生かしたアクロバティックな振付にある。リハーサル時にはジャズの曲に合わせていたが、コクトーの実験的試み「偶然的な同時進行性の神秘」により 本番直前にバッハの「パッサカリア」(Passacaille B.W.V582)に置き換えられた。そのため、ダンサーによる即興的要素が強いバレエ作品であることも特徴である。
 現在までに踊られてきた映像を検討した結果、作品の筋書きはコクトーの脚本通りであるが、 プティ自身も語るように、プティがダンサーの個性や特徴に合わせて振付を変化・発展させて来たことが明らかとなった。
 《若者と死》を踊るダンサーには技術力と表現力や役に対しての解釈や存在感、さらに非常に強い感情を表出することが求められる。ダンサーには若者の心理状態を 身体そのもので表現することが求められる。若者役の苦悩を表現することはダンサーの表現力と技量を示すものであり、そこに若者の「生」が表象されると言える。ダンサー達は若者の若さゆえの焦燥感や絶望感、情熱、女性への愛(エロス)を巧みに表現する。作品には「生」の象徴でもある「若者」の「死」に対するアンビヴァレントな感情、愛と憎しみ、欲望と恐れが表現される。 若者の感情がダンサーの表情や身振りなどの演技にもまして難解なステップの技で表現されている。そのようにして、若者の「苦悩」に代表される「生」が「生の」身体に表象・具現化させていると考えられる。
 また、若者は「生」を象徴するが故に、「死」と対極の存在であり、若者の未曾有の大量死をもたらした第二次世界大戦の終了直後という時代性も考慮すると、「死」は若者にとって避けることの出来ない運命、現実と捉えることも可能である。つまり、戦争直後の若者の絶望や苦悩という現実がこの作品の見えない舞台となっていたと考えられる。そのような今を生きる等身大の若者をバレエ作品に登場させたことが、《若者と死》が第二次世界大戦後、当時のフランスの舞踊界で最も傑出した「事件」、「新しいバレエ」であった最大の理由と言えるだろう。これらは、2010年9月に筆者によるインタビューにおいてバビレが語った「作品の重要な点は現実の男性(real man)が踊っていること」という言葉からも裏打ちされた。

道化役の行為に見られる〈逆さま〉―『二人の主人を一度に持つと』のアルレッキーノを手がかりに―
川上暁子

 本発表では、喜劇に登場する道化役に論の焦点をあて、その行為にどのような特性があるか検討を行う。参考文献に依ると、道化の行為の特性として〈逆さま〉を挙げることができるが、事例において読み取ることができるか考察を行うことを目的とする。また、〈逆さま〉の行為を成り立たせている前提として、対比される事象を提示することが推察されるため、道化が対比される状況や物事をどのように表現するか検討を行う。道化の行為について、山口昌男は『道化の民俗学』(1985)で、「道化の演技につきものの要素の一つが「さかしま」の振舞いである・・・」(p.318)と述べる。また「「さかしま」は言葉のうえだけで表現されるのではなく、行為のうえでも表現される。・・・道化は考えられることの反対、反対を行なって、ドタバタ騒ぎを演じる。」(p.319)とある。山口の他に、E・ウェルズフォードとW・ウィルフォードが、道化の行為に見られる〈逆さま〉に関して指摘を行っている。このように参考文献に依ると、道化の行為の特性として〈逆さま〉を挙げることができる。よって、実際にどのような〈逆さま〉の行為を道化が行っているか検討を試みる。本発表の事例として挙げるアルレッキーノは、16世紀初頭からヨーロッパで大流行したコメディア・デラルテに登場する従者役で、大変な人気を博した役柄である。アルレッキーノの性質や服装などの役柄の特徴は、後世の道化役に強い影響を残している。また『二人の主人を一度に持つと』という作品は、18世紀ヴェネチアの劇作家ゴルドーニの初期の喜劇作品である。事例考察の方法は、@ミラノ・ピッコロ座による1979年の日本公演における上演台本を使用する。A台本より、アルレッキーノの言動を中心に劇のコンテクストを整理した表を作成する。B作成した表からの読み取りと、VTR映像の視聴を踏まえて、アルレッキーノの行為に関して考察を行う。台本の読み取りから、アルレッキーノが2人の主人と交互に関わることで、二者の対比が作り出されている、また主人が男女一人ずつという設定がこの対比を強調している、これらのことが考えられた。VTRによる考察では、アルレッキーノの行為として、2つの対象を並べて見せる、2つの対象を左右上下に往復させて動かす、2つの対象の真ん中に自身が立つ、2つの対象の間を往復するなどが考察された。以上の考察を踏まえて、道化の行為の特性として、道化は、@コンテクストとして対比される対象を作り出す。A対比される対象の狭間に存在する。B対比される対象の間を行き来し、その差異を失わせ、逆転させる。以上のことが検討される。このように、道化の行為に対比と逆転の構造を読み取ることができ、〈逆さま〉の前提となる対比関係を提示することが、道化の行為の核心ではないかと考える。

明治・大正期の関西におけるピアノ販売の実態について ―三木楽器を事例として― 齊藤 紀子

 日本にピアノがもたらされたのは、主として明治期に入ってからのことである(在留外国人や洋行帰りの日本人がもたらした最初期のごくかぎられた場におけるピアノを含めると江戸時代にまで遡る)。日本におけるピアノの受容については、これまで、各種学校がピアノを購入した経緯や、教育の観点から論じた研究がなされてきた。言い換えれば、購入者側からみた研究がなされてきたことになる。たとえば、武石は文部省が購入したピアノ、すなわち公のルートを経たピアノについて言及し、幼児教育、体操教育、音楽教育の各分野の立ち上げと共に段階を経てピアノを導入してきた過程を指摘している(武石,みどり2009「明治初期のピアノ:文部省購入楽器の資料と現存状況」『研究紀要(東京音楽大学)』33:1−21)。
 本発表では、日本の西洋音楽受容史に重要な足跡を残している楽器商、三木楽器(大阪:心斎橋筋)が保管するピアノの販売記録(国産ピアノ→明治36年から昭和3年までに販売した2537台分、舶来ピアノ→明治35年から大正13年までに販売した739台分及び昭和3年から昭和15年までに販売した334台分)に注目した。この記録は、販売者側の記録であること、数十年にわたる継続的な記録であることから、先行研究が参照してきた資料とは性格が異なる。この販売記録の数値に関するデータは、『大阪音楽文化史資料 明治・大正編』に掲載され、これをもとに作成した図表が『データ・音楽・にっぽん』に掲載されているが、その詳細について論じられることはなかった。そこで、販売者の視点から日本におけるピアノ受容の一端を明らかにすることを目的とし、いつ頃、どのようなピアノが三木楽器を経て誰のもとへ売られていったのか、調査を行った。その結果、卸売が数多く見られることがわかった。三木楽器の創業は文政8年に遡り、当初は大阪に数多く存在した書林の一つ、河内屋佐助という屋号であった。正式に楽器商として登録されるのは昭和31年のことであるが、明治21年に楽器部を創設して以来、今日に至るまで楽器の販売を行っている。口頭発表では、商店への卸売りが多くみられることを、三木楽器が書林の三都の一つ大阪に位置していたことと関連づけて考察した。最終的な納入先も視野に入れた、販売網や商法についての具体的な調査が今後の課題である。

≪参考文献≫ 増井,敬二(編)1980 『データ・音楽・にっぽん』東京:民主音楽協会 民音音楽資料館.
三木,佐助 1902 『玉淵叢話』大阪:玉淵堂(私家版).
大阪音大学音楽文化研究所(編)1968 『大阪音楽文化史資料 明治・大正編』.
Palmieri, Robert(ed. )2003 The Piano:An Encyclopedia(2nd edition),
New York: Routledge(1st edition, 1994).

箏の童曲にみられる時代の潮流:芸術教育運動との関連から 福田千絵

 本研究は、箏の童曲(以下、〈童曲〉とする)について、大正から昭和にかけての〈童謡〉運動に代表される芸術教育運動とのかかわりから、文化史における位置づけを図ることを目的とした。〈童曲〉とは、子どもが歌うことを想定した、歌と箏による小品であるが、〈童謡〉が、不特定多数の子どもに向けた芸術的な自由な創造を目指して「唱歌」への反発から生まれたのに対し、〈童曲〉は、教習者の減少に対処するために子どもに親しみやすい平易な曲を求めて作曲された。これまでの音楽史研究では、〈童謡〉を論じるなかで、〈童曲〉は普及しなかった作品群として否定的にとらえられてきた。それに対し本研究は、箏曲の立場から〈童曲〉の性格を明確にし、〈童謡〉運動と対比させながら考察した。研究資料は、雑誌資料及びラジオ放送記録を用いた。
 考察の結果、〈童曲〉について次の点が明らかになった。@大正時代に、多くの箏曲家によって作曲され、演奏会用の技巧的なパートが作曲され、演奏会では大人の曲に交じって鑑賞されるなど、洗練された鑑賞され得る曲となった。A対象・背景・目的・音楽的内容の各点において、〈童謡〉との根本的な相違がみられた。B〈童曲〉の作曲者らの意見を分析した結果、唱歌も好ましいものととらえており、〈童謡〉運動とは連動していなかった。その一方で、〈童謡〉の親しみやすさを利用しようとし、「童心主義」に通じる発想があったことが明らかになった。
 以上から、次のような結論が導かれた。〈童曲〉は、伝統音楽に根ざしながら、児童中心主義という共通基盤に立ち、芸術教育運動から生まれた児童芸術の一隅に位置を占めていた。したがって、〈童曲〉は、児童中心主義という時代の潮流が伝統音楽に反映された好例であった。最後に、〈童曲〉は、〈童謡〉の一種としてではなく、背景と内容の違いに留意して扱われるべきであることを指摘し、また、同時期の長唄童曲も同じカテゴリーに含めることが可能であることも付言した。

表象芸術論領域研究発表会担当 猪崎弥生 中村美奈子

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