【待遇表現に関する文献要約】

林四郎(1978)「外国人の敬語」『日本語教育』35号,pp.1-4

本論文は外国人が日本語の敬語を使う場面の問題点を話し言葉と書き言葉という二つの視点から考察。結果によって、外国人は会話する際『です』『ます』を使いすぎる傾向がある。例えば、引用表現の『と』の前に『です』『ます』を使う外国人くさい言い方。また、書き言葉の文章には改まった言い方と、くだけた言い方やぞんざいな言い方とが一つの文脈の中に混在した変な感じの文章もよく見られると述べている。

J.Vネウストプニー(1978)「POLITENESSと日本語教育」『日本語教育』35号,pp.5-11

筆者はまず日本語教育関係者が敬語への態度に残っている問題点を下記のように述べた。@文法や語彙の中の丁寧表現に関するいくつかの基本的な修正が必要であるという意識があまり広く認められていない。A現存の言語学での丁寧さの研究が十分利用されていない。B敬語について教えるというよりも、敬語の使用能力を学習者に持たせるという努力が足りないのではないか。次に謙譲語や呼びかけの取り扱い方に触れ、学習者の伝達能力や敬語回避能力を育てることが必要であると主張。最後に文法的敬語教育の種々の問題について独自の視点で捉えてみた。@学習者にもっと早い段階から普通体の基礎的知識や丁寧体と普通体の切り替えの能力を身に付けてもらう必要があるA敬語教育の最も適当な段階は中級と上級であるB敬語に関する専門用語の重要性を指摘。

立 松 喜久子(1989)「外国人学習者の待遇表現のレベルの適正さについて」『日本語教育』69号,pp.36-46

 本稿は待遇表現教育において、どのレベルを日本語学習者に教えるのが適切かという問題について考察してみた。まず、現在敬語が合理化、簡素化の方向に向かいつつあることを外国人日本語学習者に教えるべきであると主張。中、上級学習者に対して、どんな場面で何が適切かの認識をすることは困難なので、やや丁寧と感じられるレベルで話すのが安全であることを強調し、日本人社会で日本人と同等に仕事や研究をしていく場合にはそれが大切な要素であることを納得させることが必要であると論じている。受容の面では、非常に丁寧な話し方を除いてかなり丁寧な話し方からくだけた話し方まで、いろいろなレベルの話し方に慣れるのが望ましい。一方、産出の面では、かなり丁寧なもとのやや丁寧なものの2種ぐらいを使いこなせば十分である。これは単に言語にとどまらず、文化的な背景理解につながるので、教師はそれを説明する必要がある。


宮岡弥生・玉岡賀津雄・浮田三郎(1999)「外国人が用いた待遇表現に対する中国地方在住の日本人の評価」『日本語教育』103号,pp.40-48

 本研究は聞き手としての日本人から見て適切だと感じられる外国人発話者の待遇表現を明らかにするためにアンケート調査を行った。初対面と親しい間柄の二つの場面について、年上と年下の外国人女性が 『行くの』、『行くんですか』『いらっしゃるんですか』という表現を使った場合の適切度を5段階で日本人が評定した。最も待遇価値の高い『いらっしゃるんですか』はすべての状況において最も適切な表現とはみなされなかった。むしろ、中間的な『行かれるんですか』と『行くんですか』が適切とされた。『行くの』という表現も親しい間柄では好まれる表現であった。また、『行くの』を外国人が初対面で使っても日本人は寛容に受け取っていることがわかった。これらの結果は狭義の敬語表現ばかりでなく、待遇価値と心理的な距離感の視点から待遇表現を広く捉え、状況に応じた待遇表現指導をしなくてはならないことを示唆。

宮崎里司(1991)「日本語教育と敬語 主として敬語回避の観点から」『世界の日本語教育』1号,pp.91-103

 本稿は内的場面および接触場面での参加者(母語話者および外国人話者)がどのように敬語回避を行っているか、またインターアクションの違いがそれぞれの参加者の敬語回避行動にどう影響するかを分析した。今回の調査で内的場面と接触場面での母語話者の敬語回避ストラテジーにかなりの違いがあるとのことがわかった。また、外国人学習者は接触場面でこうした内的場面とは異なった母語話者の敬語行動しか観察できない可能性があるため、回避という見えない言語行動の習得が学習者の意識に上らない原因の一つであると論じている。そこで、教師はより効果的な習得モデルを提示し、如何に不適当な習得モデルのインプットを減らすかが課題であるといえる。そのためには教室場面の多様化により、参加者の活発なインターアクションをさせる必要がある。具体的にはビジター制度やティーチング・アシスタントなどが考えられる。

荻野綱男(1983)「敬語調査の方法」『日本語学』VOL.2,N.1,pp.30-37

 筆者は自分の経験に基づいて、敬語調査のいくつかの側面について以下のように述べている。@敬語の何について調査するのかを事前にはっきりさせる→仮説を立てる→どのように調査すればいいかがわかってくる。A調査方法としては文献調査と現地調査が挙げられ、現地調査にはさらに自然傍受法と質問紙法という対照的な二つのアプローチがあると提示。B調査対象者の選ぶ際、性別・年齢・学歴などの属性による差を注意すべきであると主張。また、少人数の予備調査で問題点をみつけ、多人数調査でそれをはっきりさせる方法が望ましい。C質問表の作り方:被調査者の性別・年齢・生活経験などがさまざまである場合、聞き手の設定はある程度抽象的にしたほうが分析しやすい。

J.Vネウストプニー(1983)「敬語回避のストラテジーについて〜主として外国人場面の場合〜」『日本語学』VOL.2,N.1,pp.62-67

 本稿は母国語場面と外国人場面両方の場合の敬語回避ストラテジーの実態調査の中間報告である。考察の結果によって、日本語のネーティブスピーカーは敬語を避けるためには広範囲にわたる能力を持っている。一方、今までの日本語教育では、敬語の生成への指導があったが、敬語の回避への指導がなかったため、外国人話者の敬語回避能力はきわめて低いとの結果が明らかになった。従って、これからの敬語教育に向けて、生成の指導だけでなく、敬語回避の指導も射程に入れるべきであると指摘。

生田少子(1997)「ポライトネスの理論」『言語』VOL26,No.6,pp.66-71
 
本稿はBrown and Levinson(1987)のポライトネスに関する理論を中心として取り上げ、言語使用の社会的規範としてではなく、ストラテジーとしてのポライトネスに焦点を当てる。人に何かを依頼するような行為を『面子を脅かす行為』(face-threatening act)と呼ぶ。そのような行為をするとき私たちはよくそれを埋め合わせたり取り繕うための言葉使いをする。それがポライトネスである。また、このポライトネスは普遍的でかつ相対的である。ポライトネスは当事者同士の互いの面子の保持、人間関係の維持を慮って円滑なコミュニケーションを図ろうとする社会的言語行動を指す。その意味では、言葉のポライトネスは『配慮表現』、言語的『配慮行動』などと呼ぶほうが適切。従って、言葉のポライトネスを考えるには、敬語の用法などの言語形式にあらわれるものにとどまらず、インタラクションの中で、ポライトネスを捉える必要があると提案。


百武尚子、吉川裕子(1997)「待遇表現に関する実態調査 その1〜九州大学の研究室を対象に」『九大留学生センター紀要』9号,pp.177-191

 本稿は待遇表現に関する大学内の意識および待遇表現の使われ方を知るためにアンケート調査を実施し、その結果の分析を試みたものである。九州大学留学生センター『会話・プロジェクトコース』の中級クラスではこれまでの待遇表現の指導を行ってきて、次の二つの疑問点が生じた。すなわち『教科書の丁寧さの妥当性』と『大学内で使用される敬語と一般社会との違い』である。この疑問点の解明のために、九州大学の留学生指導教官を対象にアンケート調査を行った。本稿ではこの調査の結果に基づき、まず留学生の置かれている日本語環境を把握し、次に研究室内で期待される丁寧さのレベルおよび大学内で使用される敬語と一般社会との違いについて考察した。その結果、60%に近い教官が敬語使用を期待していること、敬語の高い待遇表現が要求されていること、大学内での敬語表現の使い分けの要因として上下関係と内外関係が入り混じっていることが明らかになった。

百武尚子、吉川裕子(1999)「待遇表現に関する実態調査 その2〜九州大学の研究室を対象に」『九大留学生センター紀要』10号,pp.1-16

九州大学の研究室における敬語意識、敬語使用の実態をしるために、1997年度にアンケート調査を実施した。その結果明らかになったのは、『丁寧さのレベルの高い待遇表現が期待されていること』、『目上の人への敬語の使われ方は一般社会と異なって絶対敬語を使われていること』であった。本稿では、97年度調査の継続として『留学生に求められる丁寧さのレベルと日本語力との関係』および『絶対敬語の使用状況とその要因』について、指導教官を対象に行ったインタビュー調査の回答を分析し、考察を加えた。その結果@留学生の日本語力の低いときは、教官側の許容範囲が広いが、日本語力の向上に伴って期待レベルも高くなることA九大内では絶対敬語が多用されているが、それは個人の人格を尊重した絶対敬語の用法だと考えられること が明らかになった。待遇表現クラスの指導に、以上の結果を生かす方法についても触れた。